115系0・800番台
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115系0/800番台・300番台500番台550番台ユニット1000/1500番台2000番台3000/3500番台
 東北本線上野口、高崎線の混雑緩和及び新性能化を図る目的で、1963年より製造された近郊型車両である。既に東海道線東京口では111系が営業運転を開始しており、111系に準じた、20m級両開き3扉の全鋼製車体を採用しており、前面は貫通構造かつ運転台は高運転台となっている。本系列が投入される東北本線上野口、高崎線は直通先に日光線や上越線という寒冷地に向かう勾配線区を有しており、それら線区にも適応することが求められた。そのため、115系では耐寒耐雪に重きをおき、寒冷地や勾配区間でも安定して走行できるよう設計されている。前述のとおり111系に準じた車体で、塗装も111系と同じ所謂「湘南色」を採用したが、識別のために塗り分けのパターンは111系と異なっている。通風口は111系のグローブ型ではなく、押込型が採用されている。側扉は半自動対応で、乗務員室のスイッチによって自動開閉と半自動開閉を切り替えることができる。これにより、季節や走行区間、長時間停車等のシーンで自在に扉開閉機構の切り替えが行えるようになった。主電動機については、111系が採用していた主電動機MT46形は定格出力が100kwと低く、勾配区間の走行に適さなかった(同じくMT46形を採用していた特急型の151系、急行型の153系では、MT比が1:1の際に急勾配区間となる山陽本線瀬野〜八本松で補機連結を行っていた)ことから、新設計のMT54形が採用され、その定格出力は120kwに向上した。また、主制御器もノッチ戻し機構や抑速ブレーキに対応したCS15形主制御器が採用されており、これにより勾配走行時での安定走行を可能としている。なお、111系の出力増強型として本系列と同じMT54形を主電動機に採用した113系が同じ1963年に登場しているが、製造開始は115系の方が早い。車内はセミクロスシートで、基本的なレイアウト及びカラースキームは111系と同様である。乗務員室は全室構造だが、助士席部分は客室として開放することも可能な仕様となっていた。115系では扉に半自動開閉用の取っ手が取り付けられていることや、凍結防止のためにドアレールヒーターを備えている点が差異となっている。なお、この番台は全車とも非冷房で落成している。またグリーン車は計画こそされたものの、結局登場せずに終わっている。115系は当初Tc-M-M-Tcの4連を基本とし、宇都宮や新前橋に配置されて東北本線、高崎線等の普通列車で運用を開始した。次いで1966年からは三鷹にも配置され、電化された中央東線及び篠ノ井線塩尻〜松本間の普通列車等で運用を開始した。こちらは所謂「スカ色」ながら塗り分けは115系独自のものとなり、新たに3連を基本とする編成が組まれた。中央東線における基本編成は3連2本の間に中間車を連結した8連となり、これによりクモハ115形及びサハ115形という形式が新たに製造された。また、中央東線の狭小トンネル通過に対応するため、パンタグラフのある電動車(モハ114形)はパンタグラフ部分が低屋根化され、800番台に区分された。0・800番台は1971年までに総勢569両が製造されたが、増備途中での仕様変更もあり、増備途中から雨樋の長さの変更や一部通風機の大型化、主制御器の改良が行われた他、碓氷峠(信越本線横川〜軽井沢間)の通過対策が施された車両も存在する。更に1968年末に落成した車両からは耐寒耐雪構造の強化がなされ、前面のタイフォンにシャッターがつけられた他、側扉がステンレス製になるなどのマイナーチェンジがなされた。新製配置は宇都宮、新前橋、三鷹の3か所で、前述のとおり東北本線、高崎線、中央東線の普通列車を中心に活躍を開始した。各線の近代化に貢献した車両ではあるが、1970年代後半からは旧型車両置き換えを目的に沼津、新潟、岡山、広島などに転属されるようになり、各地での体質改善に貢献した。1986年からは老朽廃車が開始されるが、時を同じくして地方線区に於いて短編成高頻度運転が開始されると制御車が不足することから、本番台の中間車を種車に制御車化する動きも生じた。国鉄の分割民営化に際しては、JR東日本、JR東海、JR西日本の3社に継承された。なお、前述のとおり製造当初は非冷房であったが、1975年から冷房化も施工されている(ただし全車には波及していない)。経年から211系やE231系等に置き換えられて1990年代〜2000年代には多数の車両が廃車されたが、一部の車両は2010年代になっても残存し、他の番台と使用されていたが、これも2015年までに全車廃車されている。なお、ごく一部の車両(末期に松本に所属していた18両)は2001年以降伊豆急行に譲渡され、同社200系となっていたが、こちらは2007年までに全廃となっている。

 2005,03,23 浜 松★


■Variation
 新潟に転出した0番台。元々0番台は新前橋及び小山、三鷹に集中配置されていたが、300番台等の台頭により一部の0番台が新潟、静岡、広島などに転出して同地の旧性能車を置き換えた。中には1980年代のフリークエンシー向上及び短編成化の影響で、後述のとおり中間車から制御車に改造された車両も存在する。サハ115形からの改造車のみならず、電動車を電装解除のうえ制御車化したものも多い。新潟地区ではまず70系の置き換えを目的に1976年以降長岡に115系が配置され、独特なタイフォンカバーが取り付けられていたが、1000番台の投入で早々に転出した。0番台はその後も断続的に新潟地区への転出が続き、1000番台等と共に使用され、新潟地域色への塗装変更もなされた。制御車は1990年代に廃車されたものの中間車は引き続き用いられ、E129系の投入により2015年に全廃となるまで活躍が続いた。

 2015,07,26 新 潟
 クハ115形550番台を先頭としていたL1編成。地方線区におけるフリークエンシー向上及び短編成化により、不足する制御車を補う形で中間車を制御車に改造した車両が中部、中国地方を中心に配置された。サハ115形からの改造車もあるが、中間電動車を電装解除のうえで制御車に改造した車両も多い。このクハ115形550番台はモハ115形を電装解除のうえ新造の運転台を組み合わせたもので、新潟と広島に配置された。

 2009,08,26 越後石山
 広島に転出した0番台。写真の車両は広島地区の体質改善工事施工車と同じ塗装に塗り替えられている。0番台で体質改善工事が行われた車両は存在しないが、体質改善工事施工車と編成を組む車両は同色への塗り替えがなされた。因みに0番台の前照灯は元々大型の白熱灯であったが、前面強化改造と同時に300番台以降の車両と同じくシールドビームに換装された車両が多い。シールドビーム化に際しては既存のライトケースを撤去することが多いが、JR東日本とJR西日本では元々のライトケースを維持しつつ、前照灯との口径差を鉄板で補う手法での換装も行われた。JR東日本では訓練車となった豊田区のクハ115-108が2014年まで在籍した。JR西日本では2000年代まで白熱灯を維持していた車両がこの形でのシールドビーム化がなされ、2015年まで在籍した。

 2013,03,12 瀬 野
 地域標準色である濃黄色に塗り替えられた0番台。残存していた0番台も例外なく塗装変更の対象となったが、227系の投入によって2015年までに置き換えられている。

 2014,12,30 広 島
2021/09/05