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115系の500番台は、越後線・弥彦線の電化開業に合わせて0番台の電動車ユニットに運転台を接合したグループと、身延線の62系置き換えを目的に、モハ115形0番台にのみ運転台を接合したグループに大別できる。いずれも1983年より改造が始まり、国鉄時代に全車の改造が終わっている。これ以降行われる115系先頭車化改造のはしりと言える存在であり、その点は特筆事項と言っても過言ではない。2両ユニットを組む500番台は前述の目的の為に全車新潟地区に配置されたが、単独施工されたグループに関しては一部車両転配がなされ、岡山に転属された車両も存在する。いずれも0番台の初期に製造された車両が種車であり、前面こそ1000番台に準じた運転台になっているがその車歴は改造時点でも20年経っており、全車とも非冷房であった。尚、新潟地区に配置された電動車ユニットに関しては、改造に際して耐寒耐雪化も同時になされており、寒冷な新潟地区での使用に対応している。その車歴の長さから非冷房のまま廃車になった車両もあり、冷房化改造された車両に関してもユニットを組んだ編成を除いて1999年までに廃車されている。ユニットを組む2連7本に関しては引き続き新潟車両センターに在籍しており、中でも2連3本には1988年にワンマン化改造が施されて、弥彦線用車両となって推移している。製造から50年近い最古参の車両が多い500番台だが、残っていた編成も2014年から長野車両センターから転属した115系に置き換えられて廃車が進んでおり、新潟色を纏う編成は全て廃車されている他、弥彦線用の編成も2015年3月のダイヤ改正を機に運用を離れている。
2009,08,26 越後石山 |