115系300番台
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 1973年登場。0番台落成後も残っていた客車普通列車や旧性能電車の置き換えとサービスアップを図る為に製造された番台で、115系では初のマイナーチェンジ車両である。性能は0番台に準じているが、0番台とは多々変更点が生じている。前照灯はそれまでの大型の白熱灯からシールドビームとなり小型化された他、側面の窓もユニット窓に変更されており印象が変わっている。車内はセミクロスシートで従来車と変わらないものの(中間付随車サハ115形にトイレが設けられているのも0番台と変わらない)、新製当初から冷房装置を搭載していた点が特筆事項である。これにより扇風機は廃されたものの、とりわけ中央線では101系で冷房改造車が存在していた以外、普通列車で使用される車両には殆ど冷房化がなされておらず、同線における大幅なサービスアップを実現している。また、0番台より不燃化対策が徹底されておりA-A基準の車体となった他、内装材もより難燃性のものを採用している。パンタグラフは自動昇降式のPS23型が採用され、これに伴い従来のようにパンタグラフ部分を低屋根化することなく狭小トンネルを通過できるようになり、以降製造される115系にもこの特徴が受け継がれている。このように300番台はその後登場する115系各番台のベースとも言うべき存在となっている。当初は三鷹電車区に配置されたが、その後新前橋電車区等他の線区にも順次投入され、ラッシュ時輸送の改善とサービスアップに貢献した(尚、同番台が登場した1973年に所謂上尾事件が発生しており、ラッシュ時における近郊型電車の早急な導入が望まれた背景もあった)。また、冷房車が少なかった当時は急行にも投入されており、115系の数少ない優等運用として特筆できる。300番台は1000番台が落成する1977年まで製造が続き、所謂「山男列車」を始め山岳地区における主力車両として登山客等に親しまれた他、1986年には一部車両が山陽地区に転用となるなどJR初期にかけて活躍の幅を広げた。JR東日本ではとりわけ豊田電車区所属の115系が全て300番台で占められ、登場時のスカ色で現存する希少な存在となっていたが、2014年12月に全て運用を離脱した。その他のJR東日本所属の115系300番台も現在は全て運用離脱しており、現在はJR西日本でのみ現存する。

 2012,09,26 大 月


■Variation
 内装が殆ど更新されていないM7編成。同じスカ色を纏う豊田電車区の115系の中にも、更新の有無や時期により、内装に違いが生じている。尚、豊田電車区の115系は当初三鷹電車区に在籍していたものが1986年に全車転属したものであり、基本的に中央東線で使用されている点は移籍前後で変わりはない。豊田の115系は未更新車、更新車含め2014年12月に全車運用を離脱しており、長野車両センターの211系が運用を継ぐことになった。

 2012,09,26 高 尾
 岡山電車区に所属する115系300番台。元々は上記の車両と同様三鷹電車区に所属していた編成であるが、同区115系運用の縮小を受けて1986年に一部編成が山陽地区に転属し、そのままJR西日本へと引き継がれている。当初はスカ色をそのまま纏っており異彩を放っていたが、後に他車同様の湘南色へと塗り替えられている。現在は行き先表示器がLED化されている他、広島支社の濃黄色への塗装変更も順次行われている。

 2008,08,10 西川原
 信州色を纏う長野車両センターの115系300番台。元々は小山電車区に在籍し宇都宮線等で使用されたものが、E231系の台頭に伴う車両転配により2002年に松本車両センターに移籍し、従来より在籍していた古い115系を置き換えている。2007年に現在の長野車両センター配置となった。6両編成3本と1000番台と混成された6両編成1本(のうち2両)が在籍しているが、300番台の中では後期に製造されている車両で占められている為その殆どにリニューアル工事が施行されている。また小山電車区時代に運番表示器がLED化され、現在もそのまま引き継がれている。現在はこれら編成の置き換えも始まっており、300番台のみの編成は2014年に、1000番台との混成編成も翌年までに全車廃車されている。

 2007,08,15 上諏訪
 岡山・広島支社の地域色である濃黄色に塗り替えられた115系300番台。この塗装へは番台を問わずに塗り替えが進んでおり、それまでは湘南色であった300番台も例外なく塗り替えられた編成も存在する。尚、塗り替えとは別に広島支社の車両はテールライトのクリアテール化が進行しており、その点でも印象が変わっている。

 2013,03,12 三 原