3000系
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 1962年登場。従来から井の頭線に在籍していた車両の置き換え用に製造された車両である。既に井の頭線には高性能車の1000系(初代)が在籍していたが、同車は1000系の車体イメージを残しつつ、車体はオールステンレス製となった。当時東急や南海でもオールステンレス製の車両が造られていたが、本車はそれら車両とは異なり、前面にFRPで成形したフロントマスクを取り付け、その部分を着色している点が特徴となっている。他の鉄道車両には見られない試みで、この点などが評価されて1963年にローレル賞を受賞している。後に増備が続くにつれ、フロントマスクの色は七色となり、「井の頭線は七色の顔」というイメージを確立した車両となった(同車で採用された色がそのまま2代目1000系にも受け継がれているが、第1編成登場時のみ七色に入っていない濃いブルーグリーンの塗装となっていた)。1962年に製造された2本は前述の通り1000系の車体イメージを残しており、袖が絞られていない直線的な構造で側扉も片開きであった。翌年以降に製造された車両は拡幅車体で袖が絞られた姿となり、また1両18.5mと車長が拡大しており、側扉は両開きのものとなった。以降マイナーチェンジを繰り返しつつ増備が行われ、最終的には1987年までに5連29本が製造された。尚、事故廃車の代替で1991年にも1両が製造されている。マイナーチェンジは1969年製の車両からの台車変更・冷房装置設置(従来車は改造により設置)、1975年製の車両からの制御方式変更(抵抗制御→界磁チョッパ制御方式)、1983年製の車両からの車体工法の変更(軽量ステンレス化)等が具体例として挙げられる。尚、最初期の2編成は当初4連で製造されたものに1両中間車を増結しているが、その車両のみ両開きの拡幅車体となり、編成が不揃いとなった。同車増備によって従来の車両は一掃されており、1984年から10年間、井の頭線は3000系の独擅場となっていた。1995年からは1000系投入に合わせ後期車のリニューアルが開始され、アコモデーションの更新や前面窓をパノラミックウィンドウに変更する等のイメージチェンジが図られている。尚、この際フロントマスクはFRPから普通鋼に変更されているが、塗装に変化はなかった。非リニューアル車は1000系導入と同時に廃車が始まり、原形をとどめた車両は2004年には引退している。2008年からはリニューアル車も1000系の増備に伴って置き換えられることとなり、2011年12月に最後の1本が廃車されて形式消滅した。尚、3000系は18m級の3ドア車かつオールステンレスの狭軌車であり、それ故地方私鉄にも多くが譲渡されており、現在もなお各地の第一線で活躍する姿を見る事が出来る。

 2009,02,24 高井戸


■Variation
 編成番号を7で割った時、割り切れる編成はライトブルーに塗装されている。この編成は3000系の中で最後まで残存した編成である。リニューアル車は一部例外を除き運用離脱後は3両に縮小の上で伊予鉄道に譲渡されており、同社3000系として使用されている。

 2007,10,30 井の頭公園
 編成番号を7で割った時、あまりが3となる編成はサーモンピンクに塗装されている。尚、登場時の3000系は側面にはラインが配されていなかったが、リニューアル車は編成カラーの濃淡2色、非リニューアル車で後期まで残った編成は編成カラーの細い帯が巻かれている。

 2008,01,29 吉祥寺
 編成番号を7で割ったあまりが2の編成はアイボリーに塗装されている。

 2005,11,12 高井戸★
 編成番号を7で割った時、あまりが5となる編成はバイオレットに塗装されている。3000系は1975年製の編成以降でリニューアル工事が施行されているが、廃車後に伊予鉄道に譲渡された車両は全て1983年以降に製造された軽量ステンレス車であり、従来工法で製造された車両に関しては譲渡対象とならなかった。このうち3719号車1両が京王重機での保管の後京王れーるランドに移設され、同地で静態保存されている。

 2013,11,01 京王れーるランド
2021/09/02