キハ20形
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キハ20系
キハ20形・キハ22形
 国鉄における液体式気動車はキハ10系列の量産により発展をみたが、キハ10系列は機関の低出力を補うために軽量化を重視したことで接客設備、乗り心地等が犠牲となっており、客車等と比べて大きく見劣りするものであった。1950年代は車両軽量化の技術が進み、キハ10系列と同じ機関を用いても既存の鉄道車両に近い寸法までの拡大が可能となった。これにより1955年に準急用としてキハ55系列が製造され、次いで1957年以降には普通列車用の気動車も大型化が図られるようになった。これにより製造された車両群がキハ20系で、このうちキハ20形は基幹形式ともいえる1エンジンの両運転台車両である。基本的なデザインはキハ10系を受け継いでいるが、セミモノコック構造の採用により車幅が200o近くも拡大している。側扉は乗務員室の背後ではなくやや中央よりに2か所設置されている。側窓は当初はキハ10系と同じく所謂「バス窓」が採用されていた。機関は初期の車両はキハ10系列と同じものが採用され、台車もまた同様であった。車内は扉付近がロングシート、残りがボックスシートとなっており、車端部にはトイレも備えている。車幅が広まったことで座席幅が拡大し、居住性が改善されている。因みに初期の車両については当初は照明装置が白熱灯で扇風機も搭載されていなかった。また、暖房装置は燃焼装置による温気暖房が採用されていた。キハ20形は1964年までに409両が製造されたが、増備途中でマイナーチェンジがなされており、1958年に製造された車両からは側窓が「バス窓」から一段上昇式の窓に変更され、室内の排気管も薄型化、機関・台車も改良されて200番台に区分された。1964年に製造された500番台では車内照明が蛍光灯に変更され、暖房装置もキハ22形で導入された温水暖房に変更されている。キハ20形は非電化線区の無煙化の他、折しも戦前製の気動車の置き換え時期にあたっていたこともあり、北は苗穂から南は鹿児島まで各地に配置され、非電化線区において主力車両として使用された。因みに外装は1958年製の車両までは青3号と黄褐色2号のツートンカラー、1959年製以降の車両はクリーム4号と朱色4号のツートンカラーとなっており、後に全車後者に統一されたが、1970年代後半以降は更に朱色5号の一色塗りに順次変更されている(更に民営化後まで残った車両の一部は各地域の独自塗装に変更されている)。一部は準急や急行でも使用され、前述のとおり各地で主力車両として使用されたが、キハ40系列の台頭や使用路線の廃止等もあり、製造から20余年経過した1980年より老朽廃車が開始され、国鉄の分割民営化に際してはJR北海道・JR東海以外に計53両が継承された。大半は200番台で、1両のみ0番台も継承されたが、各社とも後継車への置き換えや運用線区の第3セクター化により運用範囲が狭まり、各社とも1993年までに全車廃車されている。なお、廃車された車両のうち29両が鹿島臨海鉄道、水島臨海鉄道、島原鉄道に譲渡されており、現在もなお水島臨海鉄道から茨城交通(後にひたちなか海浜鉄道)に転じた1両が現役で用いられている。

 2012,08,23 碓氷峠鉄道文化むら


■Variation
 朱色5号、所謂「首都圏色」を纏い天竜二俣駅に静態保存されているキハ20-443号車。遠江二俣に配置され、一度も転属せずに二俣線で使用された車両である。1970年代後半以降、一般型気動車は塗装簡略化のために大半の車両がこの塗装に塗り替えられている。

 2014,01,26 天竜二俣
2020/05/06