キハ22形
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キハ20系
キハ20形・キハ22形
 1958年登場。1957年以降キハ20系列が落成し順次運用に用いられており、その中には寒冷地向けに製造されたキハ21形も存在した。しかしキハ21形ではとりわけ冬季の極寒地での運用は不向きであり、極寒地での運用にも適用できる一般型気動車としてキハ22形が製造された。全長20m級の両運転台車両で、前面形状こそ他のキハ20系列に類似しているが、こちらは側扉の位置が乗務員室背後に移り、デッキによって乗降扉と客室が仕切られる構造となった。また、床下の断熱材が増強されたことで、床面高さは全体的に他のキハ20系列に比べて50o高くなっている。このため、前面の尾灯位置も50o高い位置に取り付けられている。側窓は一段上昇式の二重窓となり、床面高さの上昇もあり既存車よりも高い位置に配されている。走行機関はDMH17C(出力180PS)を1基搭載し、台車は同年に製造されたキハ20形やキハ55形と同等のコイルバネ台車が採用された。キハ10系やキハ20形の初期車に搭載された台車よりも乗り心地の向上がなされている。走行機器類はカバーをつけることで着雪等の防止が図られている。車内はデッキ付近に僅かにロングシートがある他はボックスシートが配されており、化粧板は暖色系となった。なお、冬期間において転倒防止や保温を図るため、床は木張りとなっている。暖房装置としては機関の冷却水を熱源とし、冷却水を循環させ放熱器より熱を放出する温水暖房が採用された。従来の温気暖房よりも暖房能力が向上し、本系列以降キハ58系列等も同様の暖房装置が採用された。これら内外装の改良により、極寒地での安定運用やサービス向上につながっている。因みに車端部に設置されたトイレはデッキから入る構造となっており、同様の構造は後のキハ40形や50系客車にも受け継がれている。キハ22形は1966年までに313両が製造され、北海道の他東北地方にも配置された。特に北海道における普通列車用気動車としては最も多い両数となった。なお、1963年に製造された車両からは200番台に区分され、車内照明が製造当初から蛍光灯となっている。普通列車としての使用の他、デッキ付きで大半がボックスシートの内装のため、急行列車にも用いられ、特に北海道では各地で見ることができた。老朽廃車は1980年から始まり、特に初期に製造された車両はキハ40形の増備と路線廃止により国鉄時代に大半がその姿を消している。1980年からは200番台のうち5両が簡易郵便荷物車に改造され600番台に区分されたが、民営化を待たず1987年までに廃車されている。国鉄の分割民営化に際しては、157両がJR北海道とJR東日本に継承された。JR東日本では独自塗装になった車両もあったが、1992年までに廃車されている。JR北海道では1990年以降6両にワンマン化改造がなされ、施工車は700番台に改番され塗装も変更されたが、キハ150形の投入等により1995年までに全車廃車されてこの時点でキハ22形は形式消滅した。なお、青森県内の私鉄3社に計9両が譲渡された他、阿武隈急行と秋田内陸縦貫鉄道にも、国鉄転換から全線開業までの一時期リースされている。私鉄譲渡車も現在は全て廃車されているが、下北交通に転じた車両は路線廃止後も動態保存がなされている。

 2014,06,28 三笠鉄道公園


■Variation
 小樽市総合博物館にて保存されているキハ22-56。製造当初は全車とも朱色4号とクリーム4号のツートンカラーを纏っていた。

 2014,06,27 小樽市総合博物館
2020/05/06