8000系8030番台(旧3000系) | |
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8000系:基本番台・8030番台(旧3000系) |
初代3000系は1971年より製造が開始された、1900系の後継となる特急型車両である。当時製造されていた2400系等の通勤型車両と同じく袖絞りの入った車体となったが、こちらは前面下部のライトが種別灯・尾灯が一体化したものになり、パノラミックウィンドウの採用もあり、1900系等の従来特急型車両と比べて優美な外観となった。初期導入車は1900系と混用されたことから制動方式が自動空気ブレーキだったが、後の車両は電気指令式ブレーキに変更されており、初期車もそれに合わせられている。制御方式はいずれも界磁位相制御方式が採用されており、京阪特急の車両としては初めて定速制御機能も備え、更に定速制御時には回生制動も機能するようになっていた。尚、当時より1500Vへの昇圧を考慮した設計になっており、それに対応した主電動機は600V時代でも140Kw/hの出力を有しており、非常に出力の大きいものが採用されている。側窓は1座席につき1つ設けられており、これに合わせ車内は900mmピッチの転換クロスシートが展開している。当初より車内には冷房装置を備え、象徴的だった「テレビカー」も初めてカラーテレビを採用する等、1900系を大きく上回るサービスレベルを有し、特別料金不要の特急型車両としては当時の日本でも有数の車両であった。当初は樟葉駅改良工事に伴う特急増発用に導入されたが、1900系とは設備の格差は歴然としており、前述の仕様変更がなされた増備車が順次導入されることで1973年には58両の陣容となり1900系を特急運用から撤退させている。当時は4連と3本を組む編成が存在し、ラッシュ時と閑散時で編成の付け替えを行う等柔軟な運用が組まれていたが、七条〜三条間が地下化された1987年以降は6連ないし7連に固定化された。1989年の鴨東線開業に際しては8000系の導入と合わせ、6連で残存した編成に8000系の中間車を連結することで7連化がなされたが、京阪では8000系の増備で本形式を置き換えることになり、製造から20年弱で廃車が発生し、1995年時点では残存が9両にまで減少した。長命の車両が多い京阪の車両としては比較的短命であったが、廃車された車両のうち、20両の車体は富山地方鉄道・大井川鐵道にそれぞれ譲渡されている。残存車は8000系と共に引き続き使用されることになり、内装を8000系と同等のものに更新し、主幹制御器をワンハンドルマスコンに交換することで運転取り扱いを8000系と同等のものとする改修工事が施工された。これに合わせ前面には電動方向幕が取り付けられ、特急運転時には幕を非表示としたうえでその上から特急マークのステッカーを差し込む形に改められた。また、既に使用されていなかった幌枠は撤去されたが、飾りの幌枠を新たにつけることで原形のイメージを損なわない工夫がなされた。更にこの改修に合わせて京阪特急の新たな目玉とすべく、中間車1両を寝屋川工場内でダブルデッカー車に改造し編成に組み込んでおり、新生「3000系」として再スタートを切った。その後特急の8連化に際しては予備となっていた中間車1両を改造の上で組み込み、この時点で8連1本の陣容となった。その後2008年には中之島線開業に合わせて快速急行用に「3000系」という新形式が製造されたことから本形式は性能がほぼ同じ8000系に編入され、8000系8030番台となった。後継形式への編入は1810系の1900系への編入以来のことで非常に珍しい事例と言える。その後も電話室の撤去やテレビの交換等、後天的な改造を施されつつ活躍してきたが、2013年3月を以て現役を引退することとなり、引退に際しては各種の引退イベントが行われた。2013年4月の廃車後、ダブルデッカー車は富山地方鉄道に譲渡され「ダブルデッカーエキスプレス」として再び活躍しており、8531号車(旧3505号車)は原型に近づける復元がなされ、増築された「くずはモール」内で「デジタル動態保存」されている。 2008,08,05 野 江 |