119系
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 1982年登場。当時の飯田線では戦前戦中製の釣り掛け駆動車や80系電車が幅を利かせていたが、全体的に老朽化が進行していた。そこで当時製造が始まっていた通勤型の105系をベースに、飯田線用の専用車両を投入することで全面的に車両を置き換える事とした。そのような背景で製造された車両が119系である。前述の通り105系に類似した車体を採用している為、新性能の近郊型電車としては異例となる袖絞りのない車体となった。105系と同じ主電動機を搭載し、同様電動車1両でも運転可能な1M方式を採用しているが、こちらは勾配・寒冷線区かつ比較的駅間距離の短い飯田線に特化した仕様となっており、車体の耐寒構造化がなされている他抑速ブレーキを備え、歯車比が低速に設定されて加減速に重きをおいた走行性能等は105系と異なる点となっている。尚、台車やMGを始め、一部機器類は廃車発生品から流用することで、製造コストを抑える取り組みがなされている。また同じくコスト削減から当初は全車非冷房で落成した。登場時の塗装は水色を基調にグレーのラインを配したもので、他線区では見られないものとなっていた。長距離輸送を考慮し車内はセミクロスシートとなっており、制御車のクハ118形にはトイレが設けられている。尚、このトイレは比較的後年まで垂れ流し式のまま存置されていた。1984年までに55両が製造された119系は、それまで使用されていた旧型車両を全て置き換えて飯田線の主力車両となった。1986年からの一時期2連8本が東海道線の区間列車「するがシャトル」に使用され、119系としては初めて冷房化がなされ専用塗装に塗り替えられたものの、高速運転に不向きな事から短期間で飯田線に出戻っている。JR東海への継承後はインバータークーラーを用いた冷房化(5000番台に改番)や一部車両のワンマン運転対応化改造(5300番台に改番)、更にはJR東海の標準塗装の変更等も行われ、長年に渡り飯田線の主力車両として使用されてきた。しかし製造から30年近くを迎えた2011年以降は313系の投入及び213系の転属によって急速に姿を減らし、2012年3月を以て全車運用を離脱した。尚、それ以前に脱線事故によって2両が廃車となっている。廃車後は解体された車両もあるが、一部の車両は電装品の大幅な換装やトイレ撤去といった大掛かりな改造を経てえちぜん鉄道に譲渡されている。

 2004,08,15 青 柳★


■Variation
 両運転台構造の5100番台。元々119系はMc-Mc-Tcという3連を組む編成が9本あり、必要に応じて3連と2連に使い分けができるようになっていたが、豊橋口の区間運転などにおける単行運転の必要性が生じたことから、1988年以降基本編成は全車2連を組むこととなり、編成を余剰となったMc車9両の片側に運転台を新設し、両運転台車両とした。このようにできた単行車両は当初クモハ119形100番台となっていたが、1990年以降冷房化によってインバータークーラーが取り付けられたことで、クモハ119形5100番台と改番されている。単行運転の他、基本編成への増結にも使用されており、全路線にてオールマイティーに活躍した。

 2004,08,15 茅 野★
 一時期「するがシャトル」に転用されていた編成。集中式冷房装置を搭載している点が特徴で、電源装置に余剰となった電車食堂車の廃車発生品が流用されている。飯田線に戻った後もしばらくは「するがシャトル」専用塗装のまま存置されたが、後にJR東海標準色に塗装変更されている。

 2007,08,15 上諏訪
 2両を組む編成に対しワンマン化改造が施されたものは5300番台に区分された。半自動開閉用の押しボタンが新設されており、併せて一部の戸袋が埋められている。1999年から翌年までに7本が改造されたが、2004年の脱線事故で1本が廃車されたことから2005年に1本が追加改造された。本グループは廃車後、大半の車両がえちぜん鉄道に譲渡されている。

 2007,08,15 岡 谷
2020/04/20