6000系
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 試作車が1968年、量産車が1971年にそれぞれ登場。工事が進んでいた千代田線に導入すべく開発された地下鉄車両である。国鉄常磐線への乗り入れに対応し、20m4扉車体とした点は5000系と同様であるが、「21世紀の電車」というコンセプトのもと、外観や制御方式に至るまで全く新しいものが多く採用されている。車体は前年に製造された5000系アルミ車に続きオールアルミ製となったが、前面は運転台側の窓を大型化し貫通扉を左に寄せた左右非対称の姿となったが、これは従来の鉄道車両には見られない斬新なものであった。制御方式には世界初となる回生ブレーキ併用の電機子チョッパ制御方式が採用された。これによりトンネル内の廃熱が防止された他粘着性能の向上や省エネ化など、従来車よりも性能やランニングコストが向上している。車内はロングシートで、登場時は木目調の袖仕切りなど暖色系の内装となっており、更にキノコ型貫通路が採用されたことで開放感のある車内となった。尚、リクライニングロングシートが試作されたこともあったがこちらの採用は見送られている。1次試作車は1968年の落成後東西線で試験がなされたが、その際には防音カバーが全車に渡って取り付けられるなど現在と異なる姿をしていた。1969年の2次試作車での試験も経て、1971年の大手町〜霞ヶ関間延伸にあわせてまず量産車10連13本が導入され(うち1本は2次試作車を含む)た。以降は路線延長や輸送力増強を目的に増備が繰り返され、最終的には1990年までに10連35本、3連1本という陣容となっている。長年に渡って増備されたので、増備段階によっては内装面だけでなくチョッパ装置等の機器類にも変更が生じている。1988年に製造された車両で初めて冷房装置が搭載され、それ以前の車両も1994年までには冷房化が完了している。尚、1988年からはB修の施工も開始されたが、こちらも2007年までの長期に渡り施工が続いたので時期により修繕内容に差が出ている。また一部車両は修繕と同時に制御方式がIGBT-VVVFインバーター制御に変更されている。これらにより、2000年代に至るまで1両の廃車も出ず、千代田線の主力車両として長年活躍してきた。しかし2010年より6000系の後継車両である16000系の導入が開始されるとチョッパ制御方式で残る車両を中心に廃車が発生している。尚、廃車車両の一部はインドネシアに譲渡されている。チョッパ制御方式で存置された車両は2012年に全廃となり、VVVFインバーター制御車両についても16000系の更なる台頭に伴い運用離脱が進み、2018年に全編成とも運用を離脱した。なお、現在も試作車は訓練車として新木場車両基地にて使用されている。

 2009,02,02 金 町


■Variation
 1968年、6000系の中で最初に落成した1次試作車。アルミ製車体、左右非対称のデザイン、キノコ型貫通路、世界でも初めて採用された電機子チョッパ制御方式等、後の量産車にも受け継がれる種々の特徴を最初に採用した由緒ある車両である。量産車とは車体形状や内装に差異がある。落成後しばらくは東西線で試運転を行ったが、その際には車体下部に防音カバーが存在していた。千代田線への転属後も営業運転に就かずにAVFチョッパ制御方式やVVVFインバーター制御方式等、更なる新機軸の試験に供されるなどし、その後1979年の北綾瀬支線の開通にあわせて同線へと転用されて晴れて営業運転に投入された。その際下回りが5000系と同じものとなり、抵抗制御方式となっている。以降冷房化や車体修繕、ワンマン化改造等が行われながらも長らくの間同線で使用されていたが05系に置き換えられて2014年5月に運用を離脱している。この1次試作車は改番により「6000-1」等と特徴的な車番がふられているため「ハイフン車」と呼ばれることもある。尚、2次試作車は量産車を組み込み10両化され、VVVFインバーター制御化を経ながら現在まで使用されているが、車両限界の関係上小田急線には乗り入れられない。

 2008,01,23 綾 瀬
 3次車以前に製造された車両は当初窓が所謂「田窓」と呼ばれるスタイルであったが、後に2段ユニット窓へと交換された車両も多い。そのような中、現在に至るまで原形の側窓を維持する編成も存在しており貴重な存在である。現在は6108Fの1本のみがその姿を留めている。尚、この編成は2010年に6000系として真っ先に廃車されている。

 2007,07,22 千歳船橋
 1981年以降に製造された4次車。既に製造が開始されていた8000系の設計方針を反映しており、側窓が一段下降窓になっているのが外観上の特徴である。また当初は冷房装置は搭載しないものの当初より準備工事がなされており、それ故送風装置がラインデリアに変更されている。このグループはB修を施行されていない編成が多く、未修繕車は表示器が方向幕であったこともあり原形を比較的とどめていた。2010年からB修未施行車の廃車が進行しており、2012年9月までに全車運用を終了した。尚、一部インドネシアに譲渡された編成も存在する。

 2009,02,02 金 町
 1984年以降に製造された5次車は、側窓ガラスの大きさが拡大された他車内のカラースキームが変更されており、8000系の内装をベースに淡い緑色が基調となった。このグループは現在B修工事が完了している。4次車以降の車両には2004年以降B修工事が施行されたが、施行車は側窓が大型化され外観上の特徴となっている他、制御方式のIGBT-VVVFインバーター制御化・車内案内装置・自動放送装置等、旅客サービスの向上がなされている。いずれも従来車両のB修で行われているが、こちらは当時最新の制御装置を用いる等しており制動時の回生率が向上している。

 2007,09,09 金 町

2019/09/04