3200形
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関連リンク3200形車内写真 北総7250形
 1964年登場。都営浅草線の延伸に伴う輸送力増強を目的に製造された通勤型車両である。前年に製造された3150形の後を受けて製造されたが、こちらは京成の車両として初めて両開き扉を採用しており、戸袋窓が廃止されている。前面の灯具配置は3150形に準じていたが、その形状はそれまでの丸妻ではなく、3面折妻状に変更されている。初期に製造された20両は在来車と同じく8個主電動機制御(8M)方式を採用していたが、それ以降の車両では経済性を重視し6個主電動機制御(6M)方式を採用し、制御電動車は実質0.5Mとなっている。何れも抵抗制御方式であることに変わりはない。通常車両の他、1967年には特急「開運」用車両として片開き扉・セミクロスシートを採用した車両も8両登場して(AE形登場後一般車に格下げ)総勢88両の陣容となり、3000形以降3300形までの赤電と呼ばれたグループの中では最多両数を誇った。「開運」用車両は3290番台に区分され、他の車両とは飛び番号となっている。1986年〜1989年の間に更新・冷改が行われており、それにより灯具配置が3600形に準じたものへと変更された他種別・行き先表示器が電動化され、スタイルへが大幅に変更されている。その際に6M車のグループでは一部制御車の運転台が撤去され、中間車化されている。これにより4両編成のグループ(8M車及び3290番台)と6両編成(6M車)のグループに分けられたが、後者のうち、編成の1両はダブルパンタグラフとなった他、一部車両は補助電源装置がSIVに換装されている。尚、更新後に前面中央に設けられた電動式の種別幕は黒Hゴムで押さえてあり、車体が類似している3300形には見られない特徴である。車体更新後は塗装変更の際の試験車両となる等引き続きその存在感を示し、2000年代初頭までは主力車両として活躍した。2003年初頭までは全車が在籍していたが、その後3000形に置き換えられて廃車が始まり、編成組み換えや縮小などの変遷を経つつ、2007年11月に最後の1本が廃車されて形式消滅した。尚、8両が2003年から2006年まで北総鉄道にリースされ、同社7250形として使用されていた。

 2007,09,02 京成津田沼


■Variation
 3200形初期車。8個主電動機制御を採用している。このグループでは両開き扉を採用している車両の中では唯一扉がクリーム色に塗装されていた。2003年3月に14両が廃車され、残る6両も2004年1月に廃車されてこのグループは消滅した。

 2003,01,06 京成津田沼★
 6連で特急運用に入る。2006年12月までは6連の特急運用があり、3200形も例外なく使用された。6両編成では前後何れかの2両目がダブルパンタグラフになっており、他の赤電には見られない特徴となっていた。

 2005,03,15 京成八幡★
 3200形のなかでも異色の存在だった片開きの元特急車。このうち3294Fは1988年の車体更新時にGTO-VVVFインバーター制御の試験車両に改造されており、更に際立つ存在となった。他の赤電車両には見られない角型ライトと、制御車を連結している点が特徴的である(他の先頭車は全て制御電動車)。この編成は2004年1月に廃車されており、引退時には記念パスネットも発売された。

 2003,03,22 京成上野★
 同じく特急用車両だった3298Fは試験車とならずに通常の車体更新が施された。3294Fの廃車後唯一の片開き車両として孤軍奮闘していたが、2007年3月をもって廃車された。

 2005,09,23 京成高砂★
 3298Fは引退を目前に控えた2007年1月、往時のクリームにファイヤーオレンジのツートンカラーに塗り替えられて最後の花道を飾った。とりわけ1月末に「開運」の復活運転を行ったことが特筆される。京成におけるリバイバル塗装の実施は1994〜95年の3050形以来12年ぶりのことである。

 2007,01,25 京成高砂☆

■Composition photographs(編成写真)


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