タム500形
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 タム500形は1931年に製造が開始された15t積みのガソリン輸送用2軸タンク車である。タンク体をそれまでのリベット打ちではなく当時技術開発が進んできた溶接構造とし、タンク体を軽量化させたことで、自重を抑えつつ荷重の増強が図られている。荷重15tは戦前製のタンク車としては最も積載容量の多い車両であると共に、2軸タンク車としても最大である。本形式は戦前に設計された形式ながら石油輸送用2軸タンク車の決定版として戦後まで製造が続けられ、最終的には1961年までの30年間に621両が製造された。これは2軸タンク車としては最も多い両数である(製造中に戦中期に差し掛かったこともあり、戦前・戦中期に製造された車両は91両にとどまり、大半は戦後に製造されている)。長きにわたり増備されたことで、時期によりドームの位置やドーム上部のハッチの形状、手すりの相違などいくつもの変更点が生じており、寸法も車両により若干異なっている。1956年以降に製造された車両は当初から走り装置が2段リンク式であり、既存の車両も1968年までに2段リンク化され、以降は最高時速が75km/hとなっている(北海道に配置されたタム500形はこの改造が施されず、識別のためタム20500形に改番されている)。道路事情がそこまで良くなかった当時は日本各地に駅に隣接した油槽所があり、輸送力が手頃であった本形式は特に小単位の石油輸送に重宝された。各石油会社が私有し、国鉄線のみならず大手私鉄や中小私鉄にも乗り入れ、広く足を延ばし活躍していた。その後道路事情の改善及びモータリゼーションの進展によりタンクローリーが直接石油を運ぶ体制が整えられたこと、石油類の拠点間直行輸送に際しては本形式では積載量が小さいこと、本形式の主な活躍の場であったヤード中継型輸送方式が1984年に全廃されたこと等により、昭和末期に大きく数を減らしている。ごく一部のみJR貨物に継承されたが、本来のガソリン輸送ではなく、積載物をガソリン以外の化成品に切り替え細々と用いられていた。最後まで用いられていたのは新潟県の沼垂駅を常備とする日本石油輸送私有の2両だが、実際は岩国駅の臨時常備という扱いで、日本製紙岩国工場で排出される硫酸パルプ廃液の輸送に用いられた。この2両も2000年に廃車され形式消滅となるが、うち1両が貨物鉄道博物館に移設され、静態保存されている。なお、1984年に1両が津軽鉄道に譲渡されており、こちらは本来の用途を失いながらも現在に至るまで車籍・稼働状態を維持している。

 2019,07,16 丹生川


2025/01/12