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分割民営化を間近に控えた国鉄では、民営化後の経営基盤が脆弱とされた北海道・四国・九州向けに新造車両を製造することで、同地域に在籍していたキハ20系等の老朽車両の置き換えと、それに伴う車両体質改善や経営基盤の強化が図られた。この目的により製造された車両群のうち、1986〜1987年に製造された21m級2エンジン車両がキハ54形である。同系列は暖地向けと酷寒地向けの2種類が用意され、このうち酷寒地向けは500番台に附番され、1986年に29両が製造された。車体は軽量ステンレス製で、前面のデザインこそ0番台に準じているが、こちらは側窓が二重窓となり側扉は引き戸かつ出入口にデッキを設け、乗降部分にヒーターを設置するなど徹底して極寒地向けの対策が施された。帯色も0番台とは異なり、赤い太帯と黒い細帯を配したものとなった。製造当初の車内は2種類で、一般仕様車がボックスシート主体のセミクロスシート、急行専用車両については0系の廃車発生品を用いた転換クロスシートとなっていた。乗降扉付近はデッキで仕切られており、片側のデッキにはトイレが併設されている。このトイレは当初垂れ流し式の和式トイレとなっており、日本において最後に垂れ流し式トイレを採用した車両となっていた。このトイレは後に循環式に改造され、併せて洋式化・水タンクの屋根上への追設などが行われた。なお、全車とも当初より現在に至るまで冷房装置は設置されていない。一般仕様車は道内各地の路線で使用され、当初は道南地区にも配置された。急行仕様車は当初旭川〜稚内間に設定された急行「礼文」に用いられた。2000年に急行「礼文」が廃止されると急行仕様車はロングシートの増設などが行われ、他の車両についても50系客車やキハ183系の廃車発生品を流用したクロスシートへの換装等が行われ、車両ごとに異なる内装へとなりつつある。また前述のトイレ換装の他、1990年以降にワンマン運転対応化、2003年以降機器流用した台車や変速機など一部機器類の新製品への換装が行われ、台車はこの際にボルスタレス台車となっている。2007年に1両が事故廃車されたが、残る28両については旭川・釧路にそれぞれ配置されており、各所を拠点として主力車両の一翼として使用されている。なお、一時期は花咲線に充当される車両の帯色が変更されていた他、釧路に配置されているキハ54-507・508は釧網本線の「流氷ノロッコ号」の代替として専用ラッピングが施され、冬季間には網走〜知床斜里間で「流氷物語号」という臨時列車に充当されている。
2014,06,29 知床斜里 |