キハ37形
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 1983年登場。国鉄では1977年より一般型気動車としてキハ40系を製造させていたが、同車は頑丈な車体を持ちつつエンジンが旧態依然としたものであり基本的な性能は向上しておらず、またイニシャルコストも高いなどの問題が生じていた。これにより、キハ40系以上にコストの削減や地域の実情にあう車両を開発することとなった。そのようなコンセプトの下で製造された車両がキハ37形である。車体はキハ40系が全長20m級の袖絞り車体であったのに対しこちらは全長が19.5mとなり、更に袖絞りもなくなったことで若干小柄な車体となった。またワンマン運転を考慮して前位の扉は乗務員室後部に設けられたが、運転台は比較的高い位置にある。尚、当初の塗装は赤11号一色であり、それまでの首都圏色とは若干異なる色合いであった。性能面としては従来の気動車で使用されていた機関を一新しており、元々船舶用であった機関を改良した直噴式ディーゼルエンジンが国鉄で初めて採用されている。これをベースとした機関は後に第3セクター鉄道やキハ54形等国鉄時代末期に製造された気動車にも採用され、その嚆矢となっている。車内は軽量化と輸送量増強の双方を兼ねた結果0番台のトイレ横を除いてオールロングシートとなったが、量産時にはセミクロスシートの車両も製造することが考慮されていた。尚、当初は全車非冷房であったものの、1998年までに全車とも冷房化がなされている。キハ37形は量産先行車という位置づけで、トイレ付きの0番台が2両、トイレなしの1000番台が3両の計5両が製造されたが、折しも国鉄では新製車に対する投資は抑制されており、直接の量産車が製造されることはなかった。民営化に際しては0番台・1000番台各1両がJR西日本、それ以外がJR東日本に継承され、前者は加古川線・鍛冶屋線で使用されたのち1999年に後藤へと転属し、山陰本線や境線で使用されたが2003年に運用を退き、長期間留置の後2009年に廃車されている。後者は当初木原線でも使用されたが、同線の第3セクター鉄道移行化は終始久留里線で使用され、キハ38形等と共に長い間主力車両として活躍した。後に機関換装も行われたものの、こちらは2012年にキハE130形に置き換えられており、運用を離脱している。JR東日本に在籍した3両はいずれも水島臨海鉄道に譲渡されており、同じキハ37形として2014年春より再起することになった。

 2012,11,30 木更津


■Variation
 車端部にトイレがついていたキハ37形0番台。同車のトイレ横のみボックスシートが配されていた。尚、同車に限らず久留里線に在籍していた車両はトイレは閉鎖されていた。

 2005,04,08 木更津★
2020/12/27