2000形
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 1964年登場。京都市電では一部線区で通勤・通学客輸送が飛躍的に伸び、これに対応すべく連結運転や急行運転等の新たな施策が行われることになった。他方従来は日中の単行運転に於いても、車掌の乗務するツーマン運転が行われていた。これらの課題を解決すべく、ラッシュ時は連結してのツーマン運転、日中は単行でのワンマン運転と、その双方を両立可能な車両が開発された。これが2000形であり、翌1965年までに6両がナニワ工機で製造された。車長11.3m、車体はノーシル・ノーヘッダーの全金属製で、それまでの京都市電の車両は前面形状が半流線型というべき形状になっていたが、こちらは傾斜閣が浅く、より直線基調のデザインとなっている。前照灯は方向幕の両側にシールドビームのものが二灯配置されており、尾灯は正面左側に小型のものが2つ備えられている。方向幕は2段構成となり、上段はワンマン運転や連接運転を表記し、下段に行き先を表示していた。扉配置はそれまでの車両が前後に配置されていたのに対し、こちらは前中扉体制となり、ワンマン運転に考慮した設計となっている。当初はワンマン運転に対応していることを示す目的もあり、新色であるクリームとコバルトブルーのツートンカラーとなり、前面から側面にかけて赤帯が配されたものとなっていた。後に他車と同じクリームと緑のツートンカラーに塗り替えられるが、ワンマン運転対応車は更にオレンジ色の帯が入り、識別可能とした。連結運転に備え、制御方式は間接非自動制御方式となり、連結運転時においても交差点上等で急加減速が行えるよう工夫されていた。また連結運転に際しては電気連結器を備えていた。車内はロングシートで、床はリノリウム張りとなっている他、座席は背ずりと座面が分かれているものが採用されている。前述のとおり2000形は6両が製造されたが、以降の車両ワンマン化については既存車両の改造で賄うことになり、同車の製造はこれで打ち切られている。結果として1965年に製造された2000形が、京都市電としては最後の新造車両となった。暫くは連結運転での急行や日中のワンマン運転など、主力車両として活躍したが、1971年には連結運転が行われなくなり、その際に連結器は撤去された(その後連結器は京福電鉄に譲渡されている)。その後も一時的にツーマン仕様となる等単行運転に活路を見出し使用を続けたが、路線縮小に伴う制御方式統一の余波で1977年9月の河原町線・七条線の廃止と共に廃車された。同時期には同じ制御方式を採用していた2600形も全廃されたため、京都市電からは間接非自動制御方式を採用する車両は全廃となった。最も新しい車両でありながら最後まで活躍できなかった車両であるが、京都市電を廃車後は、トップナンバー以外の5両は伊予鉄道に譲渡されており、現在も京都時代の車番を継承しながら活躍している。他方2001号車は当初烏丸車庫跡地に静態保存され、数か所の保存場所の移転を経て現在は梅小路公園にて静態保存されている。

 2015,03,28 梅小路公園