1928年に製造された車両であり、関東大震災からの復興事業の一環として投入された経緯を持つ。同時期にはボギー構造の1000型も落成していたが、こちらは4輪単車となっている。性能的には既に製造されていた400型(こちらは屋根形状がダブルルーフ)に準じており、制動に空気制動を用いるなど、手制動しかなかった従来車に比して安全性の強化などが図られている。登場時の塗装は写真の通り青と白のツートンカラーで更に意匠の施された模様も描かれたこと、また屋根がアーチ状となり従来車に比べ優美な形状となっている点、内装でも手彫り装飾が随所に施されている点が特徴で、震災復興を象徴する姿に仕上がっている。この500型は一挙に60両が製造されており、歴代の横浜市電の車両としては最も両数の多い形式となった。このことから戦前の横浜市電を代表する車両であると評されることもある。同時期に大量増備された車両ゆえに東京瓦斯製作所、蒲田車両及び雨宮製作所という3か所の工場で製造されたが、製造工場により装備している電装品が異なっている。戦中期の輸送を経て、戦災によって被災した車両も存在したが、特に被害の大きかった車両に関しては台枠より上に新製車体を乗せて600型へと改番されたため、500型としては45両の陣容となった。後に空番を埋めるべく一部車両に関しては改番が行われている。単車ゆえにワンマン化改造はなされず、1969年までに運用を離脱したが、523号車のみは廃止間際に1007号車と共に整備され、廃線イベントにおいて最後の花道を飾った。その同車が現在も市電保存館に静態保存されている。 2012,08,25 市電保存館 |