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立山黒部アルペンルートの中でも最も富山寄りに位置する立山ケーブルカーは、富山地方鉄道立山線と接続する立山駅と弥陀ヶ原、室堂方面への接続拠点となる美女平駅までの全長約1.3q、高低差502mのケーブルカーである。1952年に策定された富山県による立山の開発計画に端を発しており、他の立山黒部アルペンルートの交通機関に先んじる形で1954年には路線開業している(富山地鉄が立山駅まで延伸するよりも1年早く開通している)。当時は立山開発鉄道という社名であり、立山駅は千寿ヶ原という駅名であったが、駅名はアルペンルートの全通に併せ1970年に改称された他、立山開発鉄道は2005年10月に立山黒部貫光と合併している。全体的に弧を描くような線形となっている点が特徴で、車両の交換箇所以外及びその周辺以外は、ほぼ全て曲線となっている。最急勾配は56%あり、全国のケーブルカーの中でも急峻な部類である。
現在の車両は立山観光鉄道時代末期の2003年に、先代車両の老朽化により投入された2代目であり、大阪車輌工業で製造された。形式は落成年に因んだものである。先代車両の末期と同じくクリームとオレンジのツートンカラーだが、先代とは配色が逆転し上部がオレンジ、下部がクリームとなっている。前面は3面折り妻状で、左右の窓が大きくとられており眺望性を重視したデザインとなっている。前照灯・尾灯は上下とも窓上に配されている。立山ケーブルカーの特徴として、基本的に麓側に大型の荷台を常時連結し、そこに乗務員室や灯具類も備えているという点があり、現在の車両もそれを踏襲している。車内はボックスシートで典型的なケーブルカーの内装となっている。つり革は各扉付近に2か所のみと少ないが、立ち客にも配慮し座席に隣接する形で掴み棒が備えられている。また、車内照明はカバーで覆われている。通常運行時、車掌は連結されている荷台側の乗務員室に乗務するが、荷台なしでの運転も可能であり、旅客車の麓側にもブレーキハンドルを備えている。本車は既に製造から20年以上経過しているが、アルペンルート富山側の足として活躍が続いている。
2016,07,08 美女平 |