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今や日本各地で見ることのできる蒸気機関車の保存運転であるが、その嚆矢といえる存在がこの大井川鐵道であり、国鉄線上から蒸気機関車がすべて姿を消した1976年より現在に至るまで、ほぼ毎日定期的な運転が行われている。この保存運転にあたり、最初に国鉄から譲渡された機関車がC11形である。国鉄C11形は1932年以降に製造されたタンク式機関車で、薄鋼板や電気溶接の多用などで従来機より自重を抑え、様々な線区へ入線可能な汎用機として設計された。これにより、戦中期を経て戦後間もない1947年までの間に実に381両も製造され北海道から九州までの全国に導入された。大井川鐵道では、このうち3両が導入されている。
大井川鐵道に最初に導入された車両はこのうち1942年に日本車輌にて製造された227号機で、苗穂に配置された後、終始北海道で使用されていた。釧路機関区を最後に国鉄を1975年に廃車となった後はそのまま大井川鐵道に譲渡されており、現在在籍しているC11形では唯一静態保存を経ないまま大井川鐵道に譲渡され、営業運転を開始している。2008年には後述の312号機のボイラーに取り換えられるなど、数多の修繕を経ながら使用されており、蒸気機関車保存運転を築いた車両として非常に貴重な存在といえる。
次いで譲渡された車両は1946年日本車輌製の312号機で、こちらは仙台に配属となった後は終始東北地方で走行し、1974年の会津若松を最後に廃車された。その後は三重県松阪市のドライブインで静態保存されていたが、比較的保存状態が良かったこともあり1988年に大井川鐵道に譲渡され、復元の上同年7月より営業運転を開始した。しばらくC11形はこれら2両体制、2003年以降は後述の190号機を加えた3両体制となり、大井川鐵道の蒸機では最も両数の多い形式となった。ただしこの312号機は他の車両に比べて台枠の劣化が進みそれに起因する軸焼けが多く発生し、しばし走行ができない状態となることがあったため、2007年9月を以て惜しまれつつ現役を退くことになった。運用終了後は部品取り扱いとなっており、現在はボイラーも撤去された状態(227号機に移設)で大代側線に留置されている。
現在の大井川鐵道の蒸機で最も新しく入線した190号機は、1940年に川崎車輌で製造された。製造当初は仙台を皮切りに東北地方で使用され、1943年に九州に転属した。以降は九州を転々とし、1974年の熊本区を最後に廃車されたが、この間1966年には三角線でお召し列車を牽引した実績を持つ。廃車後は解体される予定だったが、お召し指定機になった実績もあり、1978年に八代市在住の個人宅で保存されることになった。以降21世紀に至るまで良好な状態を維持したまま静態保存された同機に白羽の矢が立ち、2001年に大井川鐵道に譲渡されることとなり、修繕を経て2003年より動態保存が開始された。大井川鐵道では、前述の実績に鑑みお召し列車牽引時の姿を再現して運用を開始したが、一時期は一般仕様に戻して運用されていた。現在のところ大井川鐵道の蒸気機関車では最も状態の良い車両といえ、単機での牽引可能な客車両数も5両と他の機関車よりも多い。
2014,01,25 新金谷 |