ケーブルカー
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 比叡山鉄道のケーブル路線は、麓に位置し京阪石山坂本線の坂本駅近くにあるケーブル坂本駅と、山上で比叡山延暦寺近くに位置するケーブル延暦寺駅の間およそ2kmを結び、「坂本ケーブル」という路線愛称が付けられている。両駅間の高低差は484mで、延暦寺や日吉大社に配慮し、山肌を縫うようにカーブが多いことが特徴である。1966年にそれまで路線延長日本一であった伊香保ケーブルが廃止された結果、同線が鋼索鉄道の中で最も長い距離となり現在までそれが続いている。路線は1927年に比叡山登山鉄道の路線として開業し、当時より多くの利用に恵まれたものの、大平洋戦争の局面が悪化した1945年には不要不急線として休止されてしまう。他の鋼索鉄道とは異なり1945年までは営業をしており、更に資材供出はなされず海軍への接収及びカタパルト建設に伴う運搬用ケーブルとして使用される等、異色の歴史をもつ路線である。1946年には旅客用ケーブルカーとして復旧し、1949年と1984年にはそれぞれ中間駅が増設されて現在に至っている。起終点となる両駅は開業当時の駅舎を改修しながら使用しており、登録有形文化財にも指定されている。

 現在使用されている車両は1993年に近畿車輌で製造されたものである。全長およそ14mとケーブルカーとしては比較的大型の車両で、車体は桜田秀美氏がデザインした、大型窓と立体的な前面が特徴の「ヨーロピアン調」のものとなっている。側扉は片側3か所となっており、折り戸が採用されている。1号車が「縁」、2号車が「福」と愛称が付けられており、それぞれ緑と赤を基調とした塗装となっているが両者では塗装パターンが反転している。この愛称を当時の天台座主が揮毫しており、それが両者のヘッドマークとして取り付けられている。車内はオールクロスシートで、レトロ調にまとめられている。また一般的なケーブルカーとは異なり、背ずりの高さはほぼ一定に揃えられている。同車の導入当初は全線に渡って架線が張られ、パンタグラフからサービス用電源を集電していたが、架線柱の老朽化及び災害対策の観点もあり、2006年に車両に蓄電池が搭載され、サービス電源はそこから補うようになった。2007年4月までに架線柱は撤去されているが、改修に伴う大規模な運休は行わず、営業運転を継続しながら順次車両への蓄電池搭載や架線撤去が行われている。他の鋼索路線では類をみない試みであり、特筆事項と言える。尚、終端の駅構内には架線が残されており(ただし剛体架線に換装) 、蓄電池への充電は既存のパンタグラフを用いて行われている。車両はパンタグラフを上げながら走行しており、架線のない線路をパンタグラフを掲げるという珍しい光景が見られる。このような改造を経つつ、製造から20余年たった現在も比叡山へのアクセス路線として従事している。

 2014,04,27 ケーブル延暦寺


■Variation
 麓側からのぞむ。坂本ケーブルの車両は麓側・山上側とも同じデザインとなっている。両端の駅には剛体架線が張られており、車両はここでパンタグラフを用い蓄電池へと充電する。

 2014,04,27 ケーブル坂本
 2号車の「福」は中央が緑、両端が赤と1号車の「縁」とは対照的な配色となっている。

 2017,09,24 ケーブル坂本
2017/10/02