キハ7
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 西大寺鉄道は、日本三大奇祭とも称される「西大寺会陽」で知られる西大寺を擁する西大寺地方の中心部と岡山市街を結んでいた軽便鉄道である。一般的な軽便鉄道とは異なり、3フィートゲージと称される幅914�oの線路幅となっていた点が特徴で、これは本州では唯一の採用例であるとともに、戦後も使用された例としては日本で唯一である。1911年に西大寺側から順次路線が開業し、1915年に後楽園〜西大寺町(後の西大寺市)間が全通した。途中の財田で国鉄に接続(当時の西大寺駅…後の東岡山駅と隣接)していた他、終点の後楽園では旭川に掛かる橋を介して岡山電気軌道と接続し、岡山駅方面とのアクセスを確保していた。人口の多い地帯を走る鉄道であり利用客は多く、特に例年2月に開催されていた会陽の際は車両を総動員して来場者輸送に充てていた。本鉄道は「けえべん」という愛称で親しまれ、利用客の多さから戦後に至っても黒字経営を維持していたが、同線に沿うように国鉄赤穂線が延伸され、岡山と西大寺を直結することになるため、競合することなる西大寺鉄道は赤穂線が全通した1962年に全線廃止された。なお、末期は両備バスの傘下に入り、同社の鉄道線扱いとなっていた。黒字経営のまま廃止された軽便鉄道は本鉄道が唯一である他、国鉄の競合線開通が廃止の理由であることから補償問題にもなる等、それらの点でも異色の路線といえた。現在、岡山〜西大寺間はJR赤穂線の他両備グループのバスが結んでおり、西大寺市駅跡地は両備バスの車庫となっている。

 キハ7は1936年に川崎車両で製造された半鋼製の機械式ガソリンカーである。本車は当時の趨勢に鑑み、前頭部が流線形となっているが、正面は2枚窓で、更に前頭部にバゲットが取り付けられているため、非常に独特な外観となっている。側扉は2か所であり、乗務員扉とは兼用であった。製造当初は米国フォード製のガソリンエンジン(出力37.5PS)を搭載していた。車内はロングシートで、乗車定員は60名であった。運転台は半室構造で仕切りで仕切られる構造となっていた。車幅の短さ故エンジンが床下におさまりきらないため、エンジンの格納場所については段差が生じている。戦中期は代燃装置を搭載して走行することもあった他、1949年にはいすゞ製のディーゼルエンジンに換装された。同時期に落成したキハ6と共に西大寺鉄道では最も輸送力の高い車両として主力車両として活躍を続けた。なお、本車は西大寺鉄道では最も遅く製造された車両となっている。1両単位の輸送力はキハ6と並んで西大寺鉄道では最も多く、1962年の路線廃止まで主力車両として活躍した。路線廃止後も旧西大寺市駅構内に存置され、同じく同所に保管された車両が後年解体されていく中でも残されて続け、その後は現在に至るまで西大寺バスセンターの近隣に保存されている。2004年には産業考古学会の推薦産業遺産に指定され、2010年代中頃には保存箇所に上屋が取り付けられている。

 2018,11,26 西大寺バスセンター


2026/07/22