3000形(初代)
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 1957年登場。「新宿と小田原を60分未満で走破する」という目標の下、当時の日本の鉄道技術の粋を集めて開発された特急型車両であり、「Super Express」という愛称がつけられた。本形式は当時の鉄道業界では極めて異例ともいえる、小田急と国鉄の鉄道技術研究所の共同で開発された車両である。車体は鋼製だが、それまでの小田急の特急型車両が当初より後の格下げを考慮していたのに対し、こちらは当初より格下げは考慮されず、卵型に近いモノコック構造とされた。モノコック構造の他、随所に航空機の製造技術が応用された結果、車体強度を維持しつつ車重は従来の車両に比べ25%以上軽減された。また、曲線の多い小田急線でも安定的な走行を図るべく、8車体9台車の連接構造が採用された。既に高速鉄道での連接構造は西鉄500形等で実績があったものの、8両もの長大編成での連接構造は本形式が初めてとなった。前面は空気抵抗の低減を図った流線形となり、日本の鉄道車両では初めて風洞実験を用いて形状が決定された。正面には連結器が格納されている他、下部には前面形状に合わせた排障器が取り付けられている。これら前面形状の特徴は、後の新幹線0系にも反映されている。前照灯は2灯となり、シールドビームが採用されているが、これも日本の鉄道では初採用となった。塗装は警戒色を兼ねたオレンジバーミリオンとグレーのツートンカラーで、中間に白のラインが配されたものとなり、それまでの小田急車両とは一線を画すものとなった。この「オレンジバーミリオン」は後継の特急型車両でも形を変えながら採用され、小田急特急型車両を象徴する色となった。側扉はプラグドアが一般的でなかったや停車駅が限定されていたこと、車体の平滑を確保するため、内開き式の引き戸が採用され、先頭車を除き各車1か所設けられた。制御方式は中空軸平行カルダン駆動方式、制動方式には電磁直通ブレーキが採用されているが、付随台車の基礎ブレーキ装置には鉄道車両では日本で初めてディスクブレーキが取り入れられた。客室部は回転クロスシートが1000oピッチで展開しているが、「ロマンスシート」と称された座席の採用により「ロマンスカー」という名前が定着し、以降の小田急の特急列車のブランドと化している。それまでの特急型車両で確立していた「走る喫茶室」のサービスも継承され、一部の車両にはサニタリースペースの他喫茶カウンターも設けられた。なお、デッキは設けられていない他、登場当初は冷房装置は搭載されていなかった。

 3000形は1957年以降1959年までに8連4本が投入され、これにより特急運用は全て本系列により賄われることとなった。なお、登場年の1957年には動力分散車両高速化の試金石となるべく、国鉄線上で高速試験が行われた。私鉄の車両が国鉄線上で高速運転を行うという前代未聞の事例であったが、この試験により狭軌線の鉄道車両としては世界最速となる145km/hでの走行が実現し、この結果により動力分散化の優位性が立証され後の国鉄151系や新幹線開発の礎ともなった。このように3000形は日本の鉄道史において非常に重要な車両ということができる。この実績をたたえるため、鉄道友の会におけるブルーリボン賞が創設され、本形式は受賞第1号となった。その後も小田急の花形車両として君臨し、1962年には冷房化も実施されたが、翌年からは展望席を備えた新型特急車3100形が営業運転を開始したため、本形式はやや一線を引いた形となった。その後、1968年に御殿場線が電化されるとそれまで気動車を用いていた直通列車を電車で置き換えることになり、これに本形式が充当されることになった。この際、8連4本を5連(5車体6台車)6本に組み替える改造がなされ、合わせて内外装の更新がなされ印象が大幅に変わっている。この改造車は「SSE」という愛称がつけられ、御殿場線電化で新設された連絡急行「あさぎり」を中心に、小田急線内の特急運用にも引き続き使用された。本格的な廃車は1983年から始まっているが、この時廃車された1編成はそのまま大井川鉄道に譲渡され、同線の急行に使用された。残る編成は御殿場線直通車という特殊性もあり引き続き残され、追加の更新工事も施工されつつ後継車に伍して使われ続けた。直通先の御殿場線が国鉄からJR東海となった後も引き続き使用されたが、1991年3月からはJR東海と小田急電鉄の相互直通運転という形で「あさぎり」を発展させることになり、同時に投入された20000形によって置き換えられ、ついに本系列は定期運用からは退いた。その後1年は波動用車両として残存したが、1992年3月のさよなら運転を以て全車廃車されている。本形式は日本の鉄道技術史において非常に重要な車両といえ、その功績をたたえるため5連1本が海老名車両基地に静態保存され、新宿方2両については原型に近い姿に復元された。以来長らく海老名車両基地の専用保管庫で保存されており、イベント時等で公開されていたが、2021年開業予定の「ロマンスカーミュージアム」に収蔵されることになり、本形式は3両に短縮のうえ恒久保存される。

 2019,05,26 海老名車両基地


■Variation
 1968年の御殿場線電化開業に伴い、それまでの特別準急を格上げする形で「連絡急行」が新設されたが、当該運用には本形式が抜擢されることとなり、その際輸送力適正化の目的もあり8連4本から5連6本へと編成替えが行われた(余剰2両は廃車)。同時に塗装変更や前面の大規模改造が行われており、愛称表示器や電気連結器が新設された他、前照灯の移設、尾灯の変更も行われている。この改造が施された車両は「SSE(Short Super Express」という愛称がつけられた。「SSE」は単独での運用の他、2編成つなげた10連での運用も存在し、連絡急行「あさぎり」の他、箱根特急等他の特急運用にも充当された。1本が1983年に大井川鉄道に譲渡された以外は全て平成まで残り、長きにわたり第一線で使用されていた。

 2019,05,26 海老名車両基地