モ400形
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 元々は1926年に当時の美濃電気軌道が製造した半鋼製単車のセミシ64形で、名古屋鉄道への合併後の1952年に、同形式2両を単車から連接構造に改造したものである。セミシ64形は後の揖斐線にあたる忠節〜黒野間(後に黒野〜谷汲間でも運用)用に製造されており、同年に製造されたセミボ510形(後のモ510形)と同様に半鋼製車体を有するが、こちらは軌道線への乗り入れは考慮されず、また全長10m弱の単車となっている(形式のセミシはセミスチールシングルカーからとられており、他方セミボはセミスチールボギー車の略となっている)。美濃電気軌道は後に名岐鉄道に合併され、更に1941年には名古屋鉄道に変わったことで、以降同社の所属となっている。この時点で形式がモ60形に代わり、再度1949年にはモ110形へと改称されている。元々本形式は直接駆動だったが、1950年の谷汲山華厳寺の御開帳を控え、参詣客輸送を目的に同形式以降に製造された単車と同様の間接自動制御方式に改め、制動も従前の手ブレーキから自動空気ブレーキを備える等して連結運転に備えた。これにより本形式等の単車3連以上での連結運転がなされ、参詣客輸送やラッシュ輸送に用いられたが、不具合が生じたこともあり、単車の連結ではなく単車2両を連接構造として輸送力を向上させることが計画された。この計画による改造及び改番でモ400形が誕生している。改造に際しては片側の運転台の撤去と貫通路の新設、一部側扉の撤去がなされ、連結面にも台車を設け2車体3台車の連接構造としている。当初は同様の車両を増備する計画もあったが、コストパフォーマンスの観点から見送られ、改造により連接構造となった車両としても名鉄では唯一の存在となった。2両連接では全長が20m弱になり、ボギー車と比べても輸送力が増強している。モ400形となった車両は引き続き忠節〜谷汲間で運用され、状況によりボギー車と連結運転を行うこともあったが、瀬戸線から700形等のボギー車が揖斐線に転入したことで本形式は淘汰対象となり、1973年に廃車された。因みに本形式への改造がされなかった1両は1959年に廃車されている。モ400形は岡崎市内線を走行した車両ではないが、廃車翌年に岡崎市に寄贈されており、以来岡崎市南公園にて静態保存されている。

 2014,08,14 岡崎市南公園