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元は大阪電気軌道(大軌)が上本町〜奈良間の路線を開業させるにあたり配備された車両で、1913年から翌年にかけて製造された。形式の「デボ」は電動ボギー車に由来する。同区間は生駒山を長大トンネルで超え、大阪・奈良間を短絡するルートを取っているが、反面奈良駅周辺では道路上を走行するという路線特性から、それらを両立できる車両となっている。車体は全長15m級、片側3扉の木造のボギー車で、正面は半流線形かつ前面5枚窓という同時期の他車にも見られた造形となっている。車体は漆塗り正面右側の窓には当時の車両としては珍しい方向幕が備えられていた。併用軌道区間を走行することから前面には救助網が備えられているが、路上への電停設置がないこともあり、高床構造かつステップレスとなっている。本形式最大の特徴は、アメリカGE製の主電動機にある。前述のとおり生駒山を長大トンネルで貫通することに加え、前後の連続急勾配区間においても高速走行する必要があることから、当時の主電動機としては破格の出力123kwという電動機を各車2基搭載し、1両あたりの総出力は250kwに迫ろうという、それまでの車両とは一線を画す出力を有した。また台車、車輪も特に下り急勾配においても安定して走行できるよう設計されている。車内はオールロングシートで、同時期の他車にも見られたが、肘掛けや柱はニス塗りかつ彫刻が随所に施され、運転台との仕切り部分はアーチ状になる等、優雅さのある内装となっていた。本形式は18両が製造され、大阪電気軌道開業とともに運転を開始した。前述した車両性能により、阪奈間を60分を切る55分で走破し、山地を迂回していた国鉄関西本線を大きく凌駕した。集電装置は当初はポール集電であったが、1930年にパンタグラフ集電に改められた。近鉄合併に併せて1942年に形式称号をモ1形に変更、更に1950年には後継のデボ19形と併せて形式変更がなされ、モ200形と称されるようになった。この頃には後継車両の台頭もあり、奈良県側の平坦線区での運用が目立つようになった。戦後期においても鋼体化改造等は施されず、木造車体のまま第一線で運用されたが、1964年の新生駒トンネル開業により20m級車両が奈良方面まで直通可能となるとついにお役御免となり、当時の車両では非常に長寿となる50余年の活躍に幕を閉じた。なお、老朽廃車と別に3両が事故廃車され、1両が事故の後電装解除され形式変更されている。廃車後、比較的原型に近い姿を留めていたモ212号であった車両が登場時に近い姿に復元され、車号をデボ1とした状態で近鉄あやめ池遊園地に静態保存された。1999年には更に整備のうえで片側の方向幕が復元される等されたが、2004年の同園閉園に伴い、以降は五位堂研修車庫に移設され、同地で保存されている。また、モ203号車が生駒山上に移設され、現在に至るまで同所で保管されている。大正期に製造された木造電車の現存例は非常に少なく、いずれも貴重な存在である。
2024,10,19 五位堂研修車庫 |