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現在、信貴山朝護孫子寺への参詣に用いられるケーブルカーは、大阪府側の信貴山口から高安山へと結ぶ近鉄西信貴鋼索線の1つしかないが、かつては奈良県側の信貴山下から信貴山までを結ぶ路線が存在した。これが東信貴鋼索線と呼ばれるもので、現在の近鉄生駒線を運営していた信貴生駒電鉄により、1922年5月に開業した。国内では宝山寺、箱根についで3番目に古い営業用の鋼索線である。信貴山下から信貴山までの全長1.7kmの路線で、片道の所要時間は10分弱であった。本路線の開業時は西信貴鋼索線は開業しておらず、関西本線の王寺から、一度の乗り換えで朝護孫子寺近くまでアクセスできるようになったため、奈良方面のみならず大阪方面からの参詣客にも利用された。後に開業した信貴山電鉄(西信貴鋼索線及び同線の高安山から接続していた山上鉄道線)は戦時中不要不急線として撤去されたが、こちらは不要不急線と扱われず、戦時中も運行が継続された。本路線を運営していた信貴生駒電鉄が1964年に近鉄に合併されると同線も近鉄の所属となり、同社の東信貴鋼索線となった。しかし、信貴山朝護孫子寺へのアクセスに利があるとはいえ、大阪方面と直結する西信貴鋼索線と比べ、王寺及び信貴山下での乗り換えが強要される本線の乗客は伸び悩み、また沿線の宅地化も要因となり、惜しまれつつも1983年8月を以て廃止された。廃止後、信貴山下駅付近は線路に隣接していた道路拡幅に転用されたが、中腹より信貴山寄りは遊歩道に転用されている他、終点の信貴山駅舎は現在もバス待合所として用いられており、今なおその面影を残している。なお、公共交通としてはバス路線に置き換えられたが、現在このバスは王寺駅から信貴山下駅及び旧信貴山駅を経由しつつ、西信貴鋼索線からのバスに接続する信貴山門バス停まで結んでおり、ケーブルカー時代よりも路線自体が延伸されている。
この路線の開業時に製造された車両の置き換えを目的に1933年に藤永田造船所で製造された車両が、1983年の路線廃止まで使用された車両となり、後の近鉄合併時にコ9形と呼称されるものである。生駒鋼索線のコ1形と同じく全長10m級の半鋼製車両であり、同じくリベット打ちの鋼体となっているが、こちらはコ1形よりも更に角ばった車体となっている。前面のデザインは前後で大きく異なり、特に信貴山(山頂)側の前面は2段窓がいずれも大型である。製造当初は茶色で、集電装置は独特な形状のビューゲルであった。この集電装置は後に菱形パンタグラフに換装されている。近鉄移管後に近鉄の既存のケーブルカー車両の続き番号となるよう付番され直された。近鉄時代の塗装は生駒鋼索線の車両に準じており、コ9が白と朱色、コ10が白と青色のツートンカラーになっていた。車内はボックスシートとロングシートの混合配置というケーブルカーでは珍しいものである。ニス塗りの窓枠や木製の床など、半鋼製車両らしい内装だが、後年の車内照明は一般的な業務用蛍光灯となっており、これは本車の特徴の一つと言えた。1970年代後半に前照灯がシールドビーム灯に換装される等小規模な改造は施されたが、戦前からのスタイルをほぼ残したまま1983年の廃線まで使用された。また生駒鋼索線等とは異なり巻上機は直流電源のまま(戦前から続く宝山寺1号線も直流電源であったが、後に交流電源に交換されている)であった。1983年の路線廃止後、コ10号車は解体され、車輪や巻上機制御盤などが信貴山下駅構内に保存されている。コ9号車は地元三郷町に引き取られ、三郷町立三郷北小学校の一角に静態保存された。その後、コ9号車を信貴山下駅前に移設保存するクラウドファンディングが成立し、2021年から信貴山下駅前で静態保存されている。
2022,07,13 信貴山下 |