コ1形
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 近鉄の保有する鋼索線の1つである生駒鋼索線は、近鉄生駒駅に近接している鳥居前駅を起点とし、生駒山の中腹に位置して聖天信仰で名高い宝山寺に近接する宝山寺駅までの約950mを結ぶ宝山寺線と、同駅から更に生駒山の山上に向かう約1100mの山上線の2路線の総称である。宝山寺への参詣路線として近鉄の前身である大阪電気軌道の系列会社となる生駒山麓鉄道によって1918年に鳥居前〜宝山寺間が開業したが、これは営業用のケーブルカーとしては一番早い開業であり、1910年代に開通した唯一のケーブル路線である。宝山寺線は当初一般的なケーブルカーと同じく単線交走式であったが、1926年12月には隣接して2号線が開業し、複線化されている。ケーブルカーで複線を有する路線は全国でも宝山寺線が唯一であり、多客期には双方を使用した頻発運転が可能となっている。一般的にケーブルカーは山上にある寺社仏閣への参詣や観光輸送を目的とした路線が多く、本路線もその例に漏れないが、宝山寺線沿線は元々宝山寺の門前町として発展していた他、宅地開発も進んでいるため日常的な通勤通学輸送も担っており、その点でも異色な路線と言える。山上線は1929年に開業し、同時に大阪電気軌道の手で開業した生駒山上遊園地へのアクセス路線として機能した。戦中期の1944年(同年から鋼索線の運営は近鉄)から一旦通常の旅客営業が休止されたが、生駒山上遊園地の飛行塔が海軍に接収されたこともあり、2号線が一時撤去された以外は軍用路線として運行され続けた。宝山寺1号線及び山上線は1945年8月、宝山寺2号線は1953年にそれぞれ営業を再開し、現在に至っている。

 コ1形は、開業時に使用されていた木造車両から全長10m級の半鋼製車体に載せ替えたものであり、この車体は1928年に田中車輌で製造された。初代の木造車両が前後扉配置であったのに際し、こちらは中央にも側扉が設けられており、片側3扉配置となった。前面は国鉄63系電車にも似た3枚窓の切妻型となり、初期の鋼製車両のためリベット打ちの鋼板が特徴的である。本車が走行していた宝山寺1号線は、大半のケーブルカーが不要不急線として撤去された戦中期も不要不急線として扱われなかったことから、戦中から戦後にかけてもそのまま使用されている。これが本車が平成の世まで生き永らえた最大の理由ともいえる。本車の登場時はこげ茶を基調とした塗装であったが、戦後は「いのり」「めぐみ」という愛称がつけられ、復活した宝山寺2号線に導入されたコ3形に類似した塗装に改められた(なお、塗り分けのパターンは所謂『金太郎塗り』やV字塗りの他、直線的な塗り分けとなった時期もある等時期により変遷を経ている)。元々側扉は手動であったが、コ3形の竣工の後に自動化され、更に1970年代には前照灯が白熱灯からシールドビームに変更された。また、本車を稼働していた巻上機は元々直流電源で稼働していたが、戦後復旧した宝山寺2号線で交流電源が採用されると、こちらも追随している。1985年3月にはコ3形共々車両制御の自動化がなされた他、晩年は通信機器の無線化がなされ、それにより鳥居前側から見て右側の集電装置は撤去されている。このように時代に即した変遷を経つつ、実に70年以上に渡り使用され続けた。国内のケーブルカーとしても最も古い存在であり、戦前製のケーブルカーとしても最後まで残った貴重な車両であったが、老朽化から2000年にコ11形に置き換えられ、廃車された。最晩年にはこげ茶を基調に金色の装飾が入った登場時に近い塗装に塗りなおされ、その状態で営業運転を終了した。廃車後はコ1号車が生駒市に寄贈され、生駒山麓公園で静態保存されている。なお、保存当初は蛍光灯や一部機器類が撤去された以外は現役当時に近い姿であったが、経年により後年には座席が板張りに変更された他、窓枠が茶色に塗装されている。

 2022,07,13 生駒山麓公園


■Variation
 麓側を見る。後年に製造されたケーブルカーと異なり、前面は傾斜されておらず、通常の鉄道車両に近い印象を持つ。

 2022,07,13 生駒山麓公園
2022/07/18