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80形は1961年に製造が開始された、京津線の各駅停車用車両である。京津三条〜浜大津間を結んでいた京津線は、併用軌道区間に電停が設置されていたことに加え、60‰を超える峠越え区間が2か所、優等列車の追い抜きもあるという他の軌道線にみられない特徴を有し、本形式はその路線特性に合致すると共に、京津線の全種別で運用できるよう設計された。車体は全長15m、片側3つ扉の全鋼製車体で、楕円形に近い車体断面を持ち端整なデザインにまとめられている。併用軌道上の電停での乗降を考慮し、床面高さは910oと低床構造となり、扉付近には折り畳み式の乗降ステップが設けられた。製造コスト、保守面等を考慮し、駆動方式こそ釣り掛け駆動方式が採用されたが、当時のPCCカーを凌駕する大出力の主電動機を搭載し、歯車比も高加減速寄りに設定されたことで、起動加速度は3.2km/h/sと一般的な鉄道車両以上となった。更に当時京阪本線で製造されていた「スーパーカー」2000系の主制御器をベースにした多段制御器を採用し、釣り掛け駆動ながら抑速回生ブレーキの作動や定速制御も実現した。集電装置は旧態依然としたポール集電が採用されたが、将来的なパンタグラフ設置も考慮されていた。車内は一般的なロングシートとなっている。80形は1970年までに16両が製造された。大半の車両は両運転台で製造されたが、1970年の集電装置パンタグラフ化の後、2両連結化改造が施され、併せて片運転台に改造されている(1970年製の3両は当初より片運転台、パンタグラフ集電となっていた)。80形は竣工時の京津線は各停と急行の2本立てであったが、後に御陵以東が各停となる準急との2本立てとなり、各停は京津三条〜四宮間の運用が大半を占め、あまり浜大津には乗り入れなくなっていった。なお、石山坂本線では錦織車庫への出入庫を除き運用に入っていない。1981年の浜大津駅移転に伴う方向転換、1989年の冷房化等の変遷を経ながら、京津線の顔として活躍した。冷房化に際しては装置、配管搭載のために屋根部分が嵩上げされており、印象が変わっている。30余年に渡り京津線の顔として活躍した80形だが、1997年の地下鉄東西線開業に伴う京津三条〜御陵間廃止に際し、運命を共にしている。京津三条〜御陵間の廃止後は殆どの車両が京津三条駅構内若しくは九条山駅周辺で解体されたが、解体を免れた81号車のカットボディが現在も錦織車庫に保管されている。82号車も長らく浜大津駅構内を経て錦織車庫に保存されていたが、2015年に搬出され、その後は高島市内にて保存されている。
2014,03,27 近江神宮前 |