ケ10形
トップページ鉄道写真図鑑屋島登山鉄道>ケ10形
 屋島登山鉄道が運営していた屋島ケーブルは、琴電志度線の琴電屋島駅に程近い屋島登山口(戦前期は八島神社前)と屋島山上(戦前期は屋島南嶺)の間0.8qを結んでいた鋼索線であり、1929年に開業した。四国八十八か所の霊場の一つである屋島寺や近隣の景勝地「獅子ノ霊巌」を始めとした屋島へのアクセス路線として建設されたもので、運営会社自体も当初より高松琴平電鉄の子会社として設立されている。両駅間の高低差は265mで、5分間で両駅間を結んだ。制動装置はギーセライベルン型かつレールもギーセライベン製の楔形レールであり、両者とも日本の鋼索線での採用例は少ない(いずれも採用している鋼索線の現存は丹後海陸交通のみ)。他の鋼索線の例に漏れず1944年に営業を休止しているが、1950年に車両新造の上営業を再開した。山麓側が鉄道駅へも近く、また1950年代までは屋島への動力交通自体がこの鋼索線のみであったことから、多くの利用客に恵まれたものの、1961年に有料道路として「屋島ドライブウェイ」が開通しマイカーでアクセスが可能になると利用客は減少していった。その後も長らく屋島観光の一翼を担ったものの、2004年に運営会社が経営破綻し、その流れで2004年10月に運行を休止した。後継会社を模索するもかなわず、2005年8月末を以て路線廃止となった。廃止後の2009年に旧屋島山上駅が経済産業省の「近代産業遺産」に指定されて現存する他、屋島登山口駅のホームや車両もそのまま残されている(登山口駅舎は解体の上、跡地には自治会館が建設されている)。現在、屋島への公共交通はJR屋島駅・琴電屋島駅の双方を発着するシャトルバスが運行されており、ケーブルカーの代替となっている。

 ケ10形は1950年の再開業に合わせて日立製作所で製造された車両であり、全長11m級の半鋼製車体を有する。一般的な平行四辺形状の車体だが、前面は窓上が後方に折れている他、全体的にやや膨らみを帯びた形状となっており、3枚窓の下部に前照灯と尾灯を有した前面デザインは、路面電車の車両にも似た印象である。側扉は片開きで、外吊り式となっている。落成時は黄色基調の塗装であったが、後に白を基調に赤い帯を巻いた姿に改められている。源平合戦の一つ「屋島の戦い」の舞台であることにちなみ、車両にはそれぞれ「義経」「辮慶」という愛称がつけられている。車内は典型的なケーブルカーの内装で、全てボックスシートとなっている。鉄道車両としては珍しく、床・段差部分はデザインタイルが敷かれている。後年になり立ち客用のポールが設けられているが、つり革の類は設置されなかった。落成から半世紀以上に渡り屋島へのアクセスに用いられたが、2004年10月の路線休止に際しその運命を共にしている。なお、営業最終日は試運転時点で車両故障となり、乗客を乗せることなく運転終了となったという逸話がある。現在は2両とも旧屋島登山口駅におろされ、2両を板で繋いだ状態で保存されている。2015年に薄緑色に塗装され直されているため往時の姿とは異なるが、それでも戦後まもない時期に製造された鋼索線車両の貴重な現存例である。

 2024,12,31 屋島登山口


■Variation
 麓側からみた1号車。2号車を麓まで下ろすにあたり留置スペースを確保する関係から、先端部ぎりぎりのところに留め置かれている。麓側は前照灯と前面窓が山上側よりも離れているため、やや印象が異なっている。因みに山上側については、1号車と2号車では尾灯の位置が異なっていた。

 2024,12,31 屋島登山口
2025/01/04