60形
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 60形は1948年以降に竣工した、両運転台電動車の一群である。片運転台の制御車である70形共々、戦争によって低下していた輸送力の改善を目的に東急及び当時「大東急」グループから独立した京浜急行・相模鉄道の木造車両を種車に導入しているが、宮城電気鉄道から国鉄を経て琴電入りした車両、山陽電鉄からの譲受車等も存在しており、それらが一群の形式に編入されている。何れも導入当初は木造のまま使用されたが、戦後まだ落ち着きを取り戻していない時勢に使用されていたこともあり1950年代に入ると早々に老朽化が進行してしまった。そこで各種改造を施すことになるが、木造車体に鋼板を張り付けた簡易的な更新を受けたグループと、完全に鋼体化した若しくは台枠を流用しつつ新造車体(当時新鋭の急行型電車である10000形に近い車体)に載せ替えたグループの2つに大別されることとなった。前者は元が木造であることから、志度線が直流1500Vへと昇圧した1966年を契機として運用を離脱し、1968年までに全車廃車された。後者として残った車両は62・65・67号の3両であるが、このうち62・65号車は1913年に製造された京浜電鉄→東急の車両をルーツとし(65号車は一旦70形として竣工後、1960年の車体載せ替えの際に電動化され60形に編入された経緯を持つ)、67号車は宮城電気鉄道→国鉄と経た車両をルーツとしており、2000形として竣工後、更新時に60形に編入されている。またこの車両のみ車体載せ替えを伴わずに鋼体化されている。これら3両は昇圧化改造等更なる後天的な改造をを受けつつ2000年代に至るまで使用されたが、老朽化が進んでいたことから2000年に62・67号車の2両が廃車となった。残る65号車は志度線で使用され、2005年以降はオフホワイトと茶色のツートンカラーへの塗り替えも行われたが、2006年に定期運用を離脱後、動態保存を名目として琴平線に転属することとなった。元々のルーツと併せると90年以上の車歴があり、歴史ある車両として貴重な存在ではあったが、しかし台枠が老朽化しており維持修繕にも費用がかさむことから2007年11月に営業運転を離脱し、惜しまれつつ廃車解体された。尚、60形の中では2003年に廃車された62号車のみ、「さぬきこどもの国」において静態保存されており、往時の姿をしのぶことができる。

 2005,08,07 松島二丁目〜沖松島★