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1974年登場。製造から40〜50年以上経過し老朽化してきた有蓋緩急車の置き換えを目的に製造された車掌車で、現在のところ最後に製造された車掌車である。全長7.2mの2軸車で、台枠上にコンテナ車の緩急車に類似した車掌室をボルト固定する、所謂「ユニット工法」で製作されている。デッキは両側に設けられている他、車内は石油ストーブや蛍光灯を備え、車掌車の中では最も近代的な内装となっている。更に車掌車としては試作車のヨ9000形を除き戦前の客車改造車掌車以来となるトイレも設けられた。また、ブレーキ装置にレジン制輪子が採用されることで特に制動時には静粛性が向上した。2軸車であるが、軸バネを柔らかくすることにより、最高時速85km/hでの走行が可能となっている。ヨ8000形は1979年までに1170両が製造されたが、最後発の車掌車であるものの製造両数はヨ5000形に次いで2番目に多い両数であった。登場当時は貨物列車への車掌車連結が必須であったことから各地の貨物列車に連結されていたが、防護無線の発達により1985年3月のダイヤ改正で車掌車連結が原則廃止となると、経年の浅い本形式も大量に余剰となった。大半はそのまま廃車されたものの、国鉄末期の独自の取り組みとして、本形式を「バンガロー」として使用する「バンガロー列車」なる列車が1985年の四国で、トロッコ列車に見立てた観光列車が1986年に小海線で運行されており、余剰となった本車の活用法を見出している。国鉄分割民営化に際しては、3割弱となる336両がJR貨物を含むJR全7社に継承された。その他、トロッコ列車への転用として長良川鉄道に2両、救援車代替として島原鉄道に1両が譲渡されている。旅客会社では工事列車、散水車への乗務員添乗用や入換時の控車目的で使用される等の活用法が多く見受けられた。特筆事項としては、JR九州において特急「有明」を当時全線非電化であった豊肥本線に直通させるため、電車用のサービス電源を搭載する電源車として本形式の2両が改造された点が挙げられる。車掌室の機能を撤去し発電機を搭載し、電車連結用に連結器換装や台枠強化が行われ、当時の783系に類似した白地に赤帯の塗装になり異彩を放った。JR貨物では甲種輸送や大物車を用いた特大貨物などの特殊貨物用途で添乗用や控車代替として用いられることが多い。こちらの特筆事項としては、福岡県の日豊本線支線(苅田港線)での貨物取り扱いに際し、本線上からの入線の場合本来であればスイッチバックで機関車付け替えが必要になるところ、本形式を改造した車両で推進運転を行うようになったことがあげられる。それに際し、前照灯や警笛、ブレーキ弁、ワイパーといった先頭に立った際に必要な機器類が搭載された。これら特筆事項に挙げた車両を含め、2024年時点では殆どの車両が廃車されており、既に旅客会社保有者は全廃となり、現在はJR貨物に10数両と僅かな車両が残るのみとなっている。なお、廃車後は各地で保存された車両も多く、更に近年東武鉄道が蒸気機関車の保存運転を行うにあたり本形式2両を譲受しており、保安装置設置用の事業用車として用いられている。
2014,04,12 真 岡 |