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高度経済成長期を迎え、エネルギー源として石炭の需要は絶頂期となり、その輸送力の改善が求められていた。国鉄では1951年に筑豊地区向けの石炭車としてセム8000形という15t積み2軸石炭車を開発し投入していたが、より積載効率に優れた2軸石炭車として1957年に開発された形式がこのセラ1形である。セム8000形をベースとしており、全長は約6.3mで、底開き式の全鋼製ホッパーを搭載するが、このホッパーの上部を嵩上げすることにより荷重を従来車両よりも2t増やし17t積としており、これにより輸送力の向上に寄与している。他の石炭車と同様車体長に比して積載量が大きい特性から重心が高く走行安定性に欠け高速走行には適さないことから、高速走行に優れる2段リンク式が主流となる中でも1段リンク式の走り装置が採用されており、最高速度は65km/hにおさえられている。セラ1形は新造車の他、余剰となった2軸車からの機器流用車や、本形式の元となったセム8000形以前の15t積石炭車からの改造車も存在し、最終的には実に4129両もの大所帯となり、同形式を何十両も繋げて走る石炭列車は九州における石炭輸送の象徴と言える存在であった。前述のとおり最高時速は65km/hに制限されたため、所謂「ヨンサントオ」のダイヤ改正を前に側面に識別用の黄帯が追加されている。なお、セラ1形は元々九州向けの車両ではあったが、一部は本州にも進出しており、九州からはるか遠く常磐炭鉱周辺で用いられた車両も存在する。長年石炭輸送に従事したが、エネルギー革命により石油の需要が高まったこと、輸入石炭の台頭に伴う競争力低下等に起因する炭鉱の閉山等の余波を受け、次第に活躍範囲は縮小していった。一部は石灰石輸送に転じたものの、全車ともJRには引き継がれずに終わった。その後、一部の車両について三井三池鉄道に譲渡されており、こちらは1997年の三池炭鉱閉山まで石炭輸送に従事した。現在も一部が保存されており、往時をしのぶことができる。
2013,03,20 九州鉄道記念館 |