セキ6000形
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 セキ6000形は1951年以降に製造された30t積みの全鋼製石炭車であるセキ3000形を種車として、台車改良を施した車両で、1968年から1970年までに1509両が改造されている。本形式の誕生背景には、石炭車の脱線事故頻出と、それに伴う最高速度の抑制が挙げられる。元々一般的な石炭車は最高時速が65km/hに設定されていたが、石炭を積載すると重心が高くなり、それに起因する競合脱線が頻発していた。脱線事故防止のため、1969年以降、積車時の石炭車については最高時速が55km/hに下げられることになったが、閑散線区はともかく過密路線で最高速度の低下した石炭車を走行させるのは、ダイヤ作成上もネックとなっていた。本形式では台車の枕バネを種車のセキ3000形に比べて柔らかく改良されており、これにより線路への追従性を高めることで脱線の一因となる蛇行動を押さえる働きをもった。その結果、本系列に限り積車時も既存と同じ65km/hでの走行が可能となった。なお、台車以外は基本的にセキ3000形から変わっていないが、北海道や九州に配置された車両は、交流電化区間では車体上に手ハンドルが位置していたことが危険と判断され、妻面に手ハンドルを移設する改造がなされた車両が存在する。まず岡山地区に配置されていたセキ3000形から改造が始まり、ついで下関、門司と列車密度の高い地区を中心に改造が進められていった。北海道地区に配置されたセキ3000形も後に改造されたが、こちらは競合脱線防止という意味合いが強く、未改造のセキ3000形とも混用されていた。北海道や九州では炭鉱と港や発電所との間で文字通り石炭車として使用されていたが、積荷を石炭以外としたホッパ車として使用される事例も多く、特に本形式を用いた石灰石輸送も各地で行われていた。石炭輸送は既に斜陽化が進んでいた時期あり、更に本形式の後継車両として更に走行性能を改善させたセキ8000形も1981年から増備されたことから一部は置き換えられたものの、1987年の国鉄分割民営化に際しては、及そ3分の1にあたる536両がJR貨物に引き継がれた。北海道や中国地方以西で使用されたが、北海道は三井芦別鉄道や江別火力発電所専用線の廃止などで石炭輸送そのものの廃止も進み、1993年までにお役御免となり廃車されている。本形式の充当される貨物列車で最後まで残った美祢〜厚狭〜宇部〜宇部岬間の石灰石輸送だが、この運用からも1998年に外され全車廃車となった。現在、国鉄時代に廃車になった車両のうち2両が三笠鉄道村、小樽市総合博物館にそれぞれ保存されている。

 2014,06,28 三笠鉄道村