EF55形
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 EF55形は1936年に製造された旅客用の直流電気機関車である。既に旅客用電気機関車としてEF53形が製造されていたが、本系列は当時の世界的な流線形ブームの流れを受け、アメリカはペンシルバニア鉄道の流線形機関車GG1形を参考にした流線形の機関車として開発されている。開発当初は両側とも流線形の構造とする計画もあったが、客車との連結時に空間が生じ、それにより発生しうる過流抵抗に懸念が生じたこと、ヨーロッパで見られるような客車端部まで流線形とする見込みもあったことから、片側のみ流線形の構造となり、反対側は切妻状の簡易的な構造となっている。切妻側の前面は当初営業運転が考慮されず、当初は構内での入換用途でのみ活用することを想定し、最低限の設備しか有していないのみならず、当初は灯具類を有していないという有様で、実質的に片運転台構造であった。台車についても、流線形の1エンド側は先輪が2軸であるのに対し切妻状の2エンド側は車長を抑えるため先輪1軸となっており、この結果2-C-C-1という特異な車軸配置を有した。流線形を採用した理由の一つとして高速走行時の空気抵抗の低減が挙げられ、これを具現化するために当時発展途上であった電気溶接を多用して平滑な車体とした。流線形側は先輪を覆うようにカバーが取り付けられた他、連結器部分にはカバーも取り付けられていた。また、前述のペンシルバニア鉄道GG1形を模したステンレス製の飾り帯が配される等、それまでの機関車とは一線を画した。性能面はEF53形に準拠していたが、歯車比がより高速寄りになっている。EF55形は同年に3両が竣工して沼津機関区に配置され、東海道本線東京口の特急列車を中心に優等列車の先頭に立つようになり、正に戦前期における花形車両といって過言ではなかった。なお、特急運用のみならず他の列車にも充当された。なお、製造当時は特徴的な外観から「カバ」「ドタ靴」といった愛称がつけられていた。後年、後位側運転台も本線走行可能なよう整備される等の後天的な改造がなされたが、基本的には転車台で方向転換のうえ流線形の前頭部を先頭にして走ることが殆どであった。花形であった期間は短く、戦争の進展により優等列車の縮小・廃止が進んだことで他の機関車に伍して運用が続けられた。なお、1号機は機銃掃射を受けており、その跡が残された。戦後しばらくの期間は東海道本線で運用され、戦後に復活した特急「へいわ」の先頭に立つなどの活躍もあったが、1952年には高崎第二機関区に転じ、高崎線の旅客列車を中心に運用されることになった。しかし、ほぼ流線形、片運転台構造という特殊な構造が災いし1960年代には全機が休車となり、1962年、1964年に各1両が廃車解体され、1号機のみが除籍されながらも残された。この1号機は国分寺市に存在した中央鉄道学園の教材用となったが、後に中央鉄道学園から返還され高崎第二機関区内で留置され続けた。この間、1978年には準鉄道記念物に指定されている。1985年には再度走行可能な状態に整備されて展示され、これが人気を博したことから1986年には本格的な動態復元がなされて車籍復帰し、翌年の国鉄分割民営化に際してはJR東日本に継承された。動態復元後は「ムーミン」という愛称もつけられ、SLと双璧をなすイベント用の主力機として上越線・高崎線を中心に各地で運用された。なお、1992年にはATS-Pも追設されている。2000年代中期までイベント列車に用いられたが2007年に故障で運用を離脱。修理部品の調達等が困難となったこともあり、2009年1月に引退することになり、2008年にはそれに向けて再度整備がなされ一度本線復帰した。引退後は高崎車両センターに車籍を有したまま保管されていたが、2015年以降は鉄道博物館で静態保存(併せて車籍抹消)されることになり、現在に至っている。SLを含め流線形の形状を有していた機関車としては唯一の生き残りで、その点でも貴重な存在と言える。

 2016,09,30 鉄道博物館


■Variation
 2エンド側は切妻型の構造でシンプルなデザインとなっている。こちら側の先輪は1軸だが、先輪の数が前後で異なるという事例は非常に珍しい。当初は簡易的な運転設備しか有していなかったが、後に本線走行も可能なよう整備され、高崎配置時代はこちら側を先頭にした列車も存在したようである。

 2016,09,30 鉄道博物館
2025/11/03