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EF53形は1932年以降に製造された旅客用電気機関車である。1928年に製造された初の国産F級電気機関車であるEF52形をベースとし、同形式運用で生じた課題をフィードバックさせるなど、改良型として開発された。デッキ付き箱型車体かつ2-C-C-2という台車配置はEF52形と共通するが、こちらは全長が880mm短くなる、リベットでの組み立て箇所を減らす等、軽量化が図られた設計となっており、EF52形と比べて10t近く軽量化されている。EF52形では露出していた車体台枠については車体内に納められている。初期に製造された車両はEF52形と同じ主電動機を搭載しているが、歯車比はEF52形の増備機(後のEF54形)と同じく低めに設定されており、高速性能に重きが置かれ最高速度は95km/hに引き上げられ、優等列車の牽引にも対応している。EF52形と同様車体のみならず機器類も全て国産で、集電装置や単位スイッチ、各種機器類の配置についても改良が加えられており、正に決定版といっても過言ではない国産電気機関車となった。EF53形は1932年に12両、1934年に7両の19両が製造され、戦前製の電気機関車としては最多両数を誇った。1934年製の車両については主電動機や車体形状が変更されている。EF53形は東海道本線の旅客列車用に配備され、1934年の丹那トンネル開通に伴う電化区間の延長後は東京〜沼津間の旅客列車牽引に充当された。当時の機関車としては極めて安定した性能を有した機関車であると評価され、本形式のうち3両がお召し列車牽引機に指定されており、戦前期の電気機関車を代表する形式となった。戦中期にかけて電化区間における主力機として活躍したが、本形式は暖房装置を搭載せず、冬季の客車牽引時には暖房車を連結する必要が生じたこともあり、蒸気暖房装置を搭載した後継形式、特に戦後EF58形の台頭が進むと一歩引いた存在となり、1952年の高崎線電化以降は同線の牽引に充当されるようになっている。関東近辺で使用されていたEF53形だが、1963年からは山陽本線の急勾配区間である瀬野〜八本松間が電化されたことに伴い後補機として歯車比の変更や重連総括制御への対応等の改造によりEF59形へと改造され、1968年までに19両全機が改造されたことでEF53形という形式は消滅した。その後EF59形としては後補機として1986年まで現役で使用され、結果的に50年超という長命な機関車となった。現在、EF59-11号機だった車両が元のEF53形の車両番号に戻され、碓氷峠鉄道文化むらに静態保存されている。
2012,08,23 碓氷峠鉄道文化むら |