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1928年登場。既に電化されていた東海道本線東京〜国府津間や横須賀線では各国から輸入されていた電気機関車が客貨輸送に従事していた。これらの車両は必ずしも安定しているとはいえず保守性にも難があり、日本の仕様に合致した機関車の導入が求められていた。折しも1924年に初の純国産電機として日立製のED15形が製造されていたことから、国産機の量産を行うこととなったが、国内メーカーによる新造機の乱立を防ぐため、鉄道省を中心として統一規格を設定しその規格による電気機関車を新造することとなった。これにより製造された電気機関車がEF52形である。車体はアメリカ製のEF51形をベースとした箱型デッキ付き構造であり、先輪は2軸となり2-C-C-2という台車配置となっている。車長は約21mと以降に製造される電気機関車よりも大型であった。機器類はアメリカWH社製のものをベースとしているが純国産品となり、本形式向けに開発された主電動機MT17形を6基搭載している。この主電動機は標準型として、改良を加えつつ以降の電気機関車にも派生形を含め採用されていくこととなる。当初貨物用を想定していたが旅客列車の牽引も考慮された仕様となり、歯車比はやや低めに設定されており最高時速は95km/hとなっている。EF52形は1928年中に7両が製造された。単一メーカーでの製造ではなく、1・2号機は日立製作所、3・4号機は芝浦製作所、5・6号機が三菱電機、7号機が川崎車輌・川崎造船と、国内メーカー各社によって製造されている。1931年には更に2両が増備されるが、この2両は歯車比を小さくして高速性能の向上が図られており、翌年にEF54形へと改番された。本形式で生じた課題は前述の増備機2両及び1932年に製造されたEF53形で改善し、以降基本的に電気機関車は全て国産となったことから、ED15形と共に本形式はその礎を築いたといえる。当初は東海道本線・横須賀線で使用されたが、戦後後継機の台頭によって中央東線、阪和線に転じるようになった。最終的には全機とも竜華機関区に集結し、阪和線の客貨輸送に用いられたが、EF58形に置き換えられる形で1975年までに全車廃車された。黎明期の国産電機として保存対象に選ばれており、1号機が交通科学博物館を経て京都鉄道博物館に、7号機が製造元の後身となる川崎重工敷地内でそれぞれ静態保存されている。
2017,09,23 京都鉄道博物館 |