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ED72形は1961年の鹿児島本線門司港〜久留米間電化に際し、同線用の電気機関車として開発された機関車で、九州における初の交流電気機関車である。本形式は単機での使用が想定されたことから、前面は非貫通となりパノラミックウィンドウの2枚窓で、この点は同時期に製造されたEF60形にも似ているが、前面がくの字状に折れ曲がっており、独特な形状となっている。また当初から前照灯がシールドビームとなっている。ED72形はまず量産先行機として2両が製造されたが、この2両は中央部にケーシングされており、更に独特な形状となっている。塗装は交流電機の標準となった赤2号一色塗りとなっている。本形式は旅客輸送向けの機関車として開発されており、冬季の旧型客車牽引に際して必要となる蒸気暖房装置を搭載していた。蒸気暖房装置の搭載によりD級の電気機関車ながら全長は約17.5mと一般的なF級機関車よりも長くなり、軸重軽減のために動台車以外にも付随台車を備え、Bo-2-Boという台車配置となっている。量産先行車はクイル式駆動方式が採用されていた。1962年には量産機として20両が製造されるが、こちらは特徴的なくの字状の前面はそのままに、前照灯がシールドビームかつ左右2灯配置となり、側面も比較的細い採光窓がエアフィルターの上部に連続して配された形状に変更されている。また駆動方式はクイル式駆動が不安定であることから釣り掛け駆動方式となった。あわせて台車・走行機器類も変更されている。量産先行車、量産機とも整流器はイグナイトロン水銀整流器が搭載されており、水銀整流器を介した電圧の連続制御を行っていたが、水銀整流器は保守に難があるため、後に一部がの車両がシリコン整流器に換装された。しかし当時のシリコン整流器は連続した電圧制御ができず、当該車両の電圧制御は高圧タップ制御のみとなった。久留米電化に際してはED72形22両と貨物専用機のED73形22両が配備され、それぞれ客貨輸送に従事した。その後は電化の進捗により徐々に運用範囲を広げたが、軸重制限を対策してもなお軸重が16tあり、運用範囲は熊本以北に限られており、線路等級が3級の日豊本線にも入線できなかった。そのため、蒸気暖房装置を搭載しつつも九州の全区間で運用できるED76形が台頭すると一歩引いた立場となった。なお、九州に乗り入れていた20系客車が増圧ブレーキ必須となったため、搭載しない本形式は寝台特急の牽引から外れた時期があったが、特段増圧を必要としない14系等の台頭で復帰している。1975年からは本形式の蒸気暖房装置は使用停止の措置となり、ED73形との差異が薄れたことから本形式も客貨輸送の双方に用いられることとなった。量産先行機の2両は1976年に廃車され、量産機も1978年からは余剰廃車が始まった。1980年にはEF81形の台頭で余剰気味となっていたEF70形が転入し、残存していた車両も1982年までに置き換えられて全機廃車となった。1号機が九州における初の交流電気機関車ということで北九州市内の老松公園に静態保存され、2003年の九州鉄道記念館の開館に合わせて同地に移設され、現在も保存されている。
2013,03,20 九州鉄道記念館 |