ED40形
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 1919年登場。急勾配を有しアプト式ラックレールが採用されていた信越本線の横川〜軽井沢間は1912年より電化されており、アプト式電気機関車EC40形が使用されていたが、アプト式蒸気機関車も継続使用されていた。輸送力を増強させるべく電気機関車を増備して蒸気機関車を置き換えることとなり、そのような背景で製造された機関車がED40形である。従来のEC40形はドイツより輸入されたものだったが、こちらは全車とも大宮工場で製造されており、日本で初めてとなる国産電気機関車となった。車体はEC40形が凸型に近い形状となっていたが、同車の運用の反省点を活かしこちらは箱型車体が採用されている。また第2エンド側(横川方)にのみ運転台が設けられた片運転台構造となっており、第1エンド側はルーバーと一灯ライト・形式板・ジャンパ栓等が取り付けられているだけに留まっている。ただし単純な平面形状ではなく、内部の抵抗器が張り出しているため上部が飛び出した特殊な形状となった。集電装置は本線走行時に使用する第三軌条用の集電靴と停車場内で使用するパンタグラフが設けられている(尚、EC40型が当初ポールだったのに対しこちらは当初よりパンタグラフが採用された)。また、発電ブレーキを掛けながらの走行となり、それに伴う廃熱処理の為に大容量の電動通風機も備えてあり、その点もEC40形から進歩したものとなっている。ED40形は1923年までに14両が製造され、EC40形と共に碓氷峠における客貨運用で活躍した。尚、当初は10020形という形式が付けられていたが、1928年の車両称号の改正に伴いED40形へと形式変更された。その後より大型のED42形が登場すると同機はその活躍の幅を広め、1943年より廃車が始まった。最終的には1952年に全車廃車されているが、一部富山港線に移籍した車両も存在する。引退後は一部が私鉄へと譲渡されており、特に最末期岳南鉄道に在籍していた車両は、大規模な改造を施されながら最も遅く1973年まで在籍している。また東武鉄道に譲渡された車両は日光軌道線で使用されたが、1968年の路線廃止で廃車になると同時に1両が国鉄へと返却され、長く大宮工場で保管された後、現在は鉄道博物館にて静態保存されている。最初の国産電気機関車という事で歴史的価値も高く、それ故準鉄道記念物にも指定されている。2018年には、国の重要文化財にも指定されている。

 2009,02,09 鉄道博物館


■Variation
 ED40形は片運転台のため軽井沢方には運転台は設けられておらず、抵抗器が張り出しており通風口もついているため正に機械室の様相を呈している。運転台はないが、こちら側にも前照灯が設置されている。

 2018,08,22 鉄道博物館