ED19形
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 ED19形は、1926年に製造されたED53形に、新規開業した仙山線で用いるために1937年以降各種改造を施して改番されたものである。同機の元となったED53形はアメリカのWH社とボールドウィン社の合作で製造されたもので、当時の輸入機の中では多い6両が製造された。同じ年に製造されたED51形を小さくしたような外観で、全長12.5mのデッキ付き箱型車体を有しており、前面は貫通扉を最前に、左右に後退した折妻型の外観となっている。製造当初は6010形という形式がつけられていたが、1928年の称号改正でED53形に改番された。当初は東海道線や伊東線で使用され、このうち1号機と2号機は電気機関車として初めてお召し指定機に選ばれた。1937年の仙山線全通により面白山トンネルを含む作並〜山寺間が直流電化され、同区間の客貨輸送用にED53形を改造のうえ使用することになり、改造車はED19形に改番された。改造に際しては歯車比の増大や耐寒耐雪工事の施工、パンタグタフの換装などがなされている。当初は4両が作並機関区に配置され、残る2両はED53形として存置されたが、残る2両も1941年にED19形に改造され、全6両ともED19形となった。なお、この時改造された2両は甲府機関区に配置され身延線を中心に使用されたが、一部の改造内容が簡略化されている。戦中から戦後にかけては一部関東地区で使用された車両もあるが、仙山線での運用はED14形に置き換えられ、大半の車両は豊橋機関区に転属のうえ、飯田線での貨物輸送に使用されることとなった。1950年以降は車体更新が施され、特にED19-5号機は溶接構造となりリベットがなくなっている。また2号機は機器を破損したことから国産の電装品に換装されたが、残る車両についてはアメリカ製の電装品を最後まで装備し続けた。最終的には全機伊那松島機関区に所属し、軌道が低規格な飯田線北部を中心に使用された。登場から半世紀という長きにわたり活躍した同形式も老朽化が進んだことから、ED61形を改造したED62形に置き換えられることとなり、1976年までに全車廃車された。このうち1号機のみ箕輪町郷土資料館の前に静態保存され、現在までその姿を留めている。

 2015,01,02 箕輪町郷土博物館