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東海道線及び横須賀線の電化にあわせて鉄道省が1923年から1925年にイギリスより輸入した電気機関車群(ED13形、ED50形、ED52形、ED53形)を、1930年以降に電装品の仕様統一及び歯車比変更などを行って同一形式に統一したものである。いずれの車両も、電装品を除いて英国Dick Kerr社で製造されたことから「デッカー」と呼ばれており、当時の電化路線では主力の機関車であった。1930年の横須賀線電車化及び中央線の電化進捗にあわせて、元々横須賀線で使用されていたED50形が改造の上でED17形に形式変更されて中央線へと転属したのが本形式の嚆矢であり、以降貨物輸送の増加などの要因から1950年に至るまで数次に渡り改造・編入が施された。本形式への編入のあと、戦後になってから電装品が国産のものへと統一されたことから保守性が向上しており、製造から50年近くも現役で使用されて輸入電機としてはかなりの長命となる要因となった。新鋭機の台頭まで、ED17形は中央線をメインに使用されている。戦災により2両が廃車され、更に1954年からは2両が路盤の弱い飯田線北部区間等への入線を可能とすべく軸重変更等の再改造を経てED18形へと改番されているが、その他の車両は新型機関車の台頭で第一線を追われつつも、仙山線や身延線、飯田線豊橋口までその活躍範囲を広げ、1972年まで現役で使用された。現在は1両が大宮の鉄道博物館に静態保存されている。
2016,09,30 鉄道博物館 |