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1988年登場。一般型気動車の製造コストを抑えるため、当時車歴が浅いにも関わらず余剰となっていた50系客車に走行用エンジンを搭載して単車で走行可能とした客車改造気動車で、JR西日本の後藤工場で2両が改造された。種車である50系客車の車体をほぼそのまま活用しており、単行運転ができるよう、両側の車端部に運転台が新設されている。乗務員室後ろの側扉はやや移設されているが、扉自体は種車のものを活用している。前面は他車との連結を考慮し貫通構造となっており、貫通扉上部に前照灯、窓下に尾灯を配し、運転台部分の上部に方向幕を設けた。搭載されたエンジンは国鉄末期に投入された気動車と同型の出力250PSのものが1基搭載されている。また台車は廃車発生品があてがわれた。車内はセミクロスシートだが、種車に比べてロングシートの比率が高まっている。車端部のデッキは撤去されており、両端には半室構造の運転台が取り付けられている。50系時代は非冷房であったが床下設置型の冷房装置を搭載することで改造当初より冷房化されている。また当初よりワンマン運転を考慮して設計されており、実際に1993年にはワンマン化改造された。なお、トイレのないオハ50形から改造されたためトイレは設けられておらず、トイレなしを表す1000番台の車号がつけられている。前述のとおり2両が改造されたものの、扉移設などの工事が必要でコスト低減の効果がさほど見込めず以降の増備はされなかった。改造当初の塗装はアイボリー地に青帯を巻いたものであったが、独自塗装やゲゲゲの鬼太郎ラッピングが施される等の変遷を経て、最終的に朱色5号、所謂首都圏色で落ち着いている。落成から長らく米子に配置されており、境線を中心に使用されていた。2003年のダイヤ改正で余剰となり一度は保留車となるが、その後は鳥取に転じ山陰本線の浜坂〜鳥取間を中心にその活躍の場を移した。本車にトイレがないことから同所ではトイレ付きのキハ47形と組んで使用されたが、2010年3月のダイヤ改正で運用を離脱し、再起せず廃車となった。その後キハ33-1001は津山まなびの鉄道館の保存車両に抜擢されており、通常時は同所の扇形車庫内で保存展示されている。
2024,10,20 津山まなびの鉄道館 |