|
1968年登場。キハ91形で試用された大出力エンジンを本格的に搭載して、勾配線区における所要時間の短縮や板谷峠の単独登坂といった当時の国鉄非電化幹線での課題を克服すべく製造された特急型気動車である。基本的なエクステリアはそれまで製造されていたキハ82形に準じているが、前面では上部ライトケースの形状や、タイフォン一体型のテールライト等に違いが生じている。また先頭車両の機器室の長さが延長されている他、車体直結型の空気バネ台車が採用されたことにより、側扉がそれまでの引き戸から折り戸へと変更されている他、運転台の配置も人間工学に基づいたものとなっている。本系列の最大の特徴は、500PS以上の出力を誇る大出力エンジンの採用である。これにより、勾配区間で従来車以上の加速性能を実現させただけでなく、電化区間においても新性能電車に伍して120km/hでの高速運転が行えるようになった。前述の通り板谷峠も40km/h超で自力登坂できるほどの性能を有し、これにより超大編成による輸送力の増強も期待できた。まさに国鉄の期待を一身に背負って登場した気動車であると言えよう。しかし、中間車キハ180形に搭載された冷却器は元々試作段階で不調だったものをそのまま採用しており、それによる排気ガスの過熱による損傷等や液体変速機の過重負荷も多々発生。特に板谷峠越えでは故障が頻発し、結局機関車牽引に戻る等幸先の良いスタートダッシュは切れなかった。普通車・グリーン車・食堂車含め、1972年までに158両が製造され、まず中央西線の特急「しなの」、次いで奥羽本線に直通する特急「つばさ」「あおば」でも使用が開始された。しかしこれらの線区はいずれも後に電化されており、その後は特急「やくも」「おき」等中国地区を中心に使用されるようになった。また1972年には四国にも進出し、初の特急列車を同形式が充当した。キハ181系は中国・四国の各線における特急化の立役者であり、故障もありながらその功績は多大である。「やくも」電車化に伴う食堂車キサシ180形の離脱を除けばほぼ全車がJRに継承されたが、その後は老朽化から後継車への置き換えが開始された。JR四国では1993年までに全廃されたが、JR西日本の車両は一部塗装変更を加えながら特急「いそかぜ」「はまかぜ」等で使用された。末期は修学旅行臨にも使用されて活動範囲を三重県まで延ばしていたが、特急「はまかぜ」へのキハ189系の投入でその活躍に完全にピリオドが打たれ、2010年度内に全車廃車された。尚、一部車両がミャンマーに譲渡された他現在も国内に保存車が数両存在し、往時をしのぶことができる。
2008,03,06 茨 木 |