キハ11形(旧国鉄)
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 国鉄におけるキハ11形は、液体変速機を搭載し総括制御を可能とした初の量産型液体式気動車であるキハ10系列の一形式で、1955年から翌年にかけて74両が製造されたものである。キハ11形は両運転台かつトイレ付きのグループであり、乗務員室直後にトイレを設けている。製造当初はキハ48000形という形式がつけられていたが、1957年の制度改正によりキハ11形に改められている。他のキハ10系列と同様、搭載されているエンジン自体が160PSと比較的出力が低いため、それを補うために徹底的な軽量化がなされており、車体が張殻構造の軽量車体であるのは勿論のこと、車体断面も普通の鉄道車両に比べ小さくなっている。車内はボックスシート主体で扉付近のみロングシートのセミクロスシートで、クロスシート部分は座席が小さい代わりにシートピッチが1430oとやや広めにとられている。当初室内灯は白熱灯で扇風機の類は設置されていなかったが、後年照明は蛍光灯となり、扇風機も取り付けられた車両が多い。このキハ11形は元々寒冷地での使用を想定しており、実際に初期ロットはデフロスタやスノープラウを備え暖房が強化される等の寒冷地仕様車となりキハ10系列で初めて北海道に配置された車両となった。また基本番台より耐寒構造を強化した100番台(製造当初は続き番号)も北海道に新製配置されている。結局さらに耐寒耐雪構造を強化したキハ12形や後継のキハ21形、キハ22形にとってかわられるが、これらの車両では特に本系列における冬期間の運用で生じた課題がフィードバックされており、その点でも本系列が北海道における気動車の礎を築いたとって過言ではない。キハ11形は前述の北海道を始め全国各地に配置されており、他のキハ10系列共々軽量構造故の問題はあったものの、総括制御で自在に編成を組める利点は大きく(ブレーキ系統が同じキハ40系列までは相互に併結が可能である)、国内の気動車発展の礎となったエポックメーカーといえる。軽量車体ゆえ後発気動車と比べてサービス面で劣り、老朽化も進んだことから廃車は1975年から始まっており、1977年以降のキハ40系列等の台頭もあり、1980年までに国鉄線上からは姿を消している。なお、3両が1960年代に郵便荷物合造車に改造されており、形式がキユニ11形に改められている(1981年までに廃車)。1975年に2両が津軽鉄道、1980年に3両が茨城交通に譲渡されており、トレイ撤去などの改造を受けて平成時代まで活躍した。特に茨城交通に譲渡されたうちの1両は21世紀まで現役を貫き、2005年の除籍まで実に半世紀近く活躍しキハ10系列の中で最も長命であった。茨城交通に譲渡されたうち2両は現在鉄道博物館とリニア・鉄道館にそれぞれ保存されており、貴重な現存例となっている。

 2009,02,09 鉄道博物館


■Variation
 リニア・鉄道館で保存されているキハ11形。茨城交通に譲渡されたキハ11形のうち1995年に廃車となった車両で、登場当時に近い青3号と黄褐色2号のツートンカラーとなり、車番も製造当初のものに復元されている。保存当初は佐久間レールパークに保存されていたが、同園の閉園に伴い移設されている。

 2012,12,05 リニア・鉄道館
2024/12/19