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1964年に開業した東海道新幹線では、0系新幹線により最高時速210km/hという世界でも類を見ない高速運転が行われることとなったが、将来の延伸に備え、更なる速度向上を目指す試験車両として1969年に製造された車両がこの951形である。車体の形状や塗装こそ0系に類似しているが、こちらは2両で1編成を組んでいる。また、車体は軽量化を図るためにアルミ合金製となり、車体強度向上のためボディーマウント構造を採用している点が特徴である。流線形の前頭部は0系よりも2m長くなっており、側面から見ると0系よりも突き出している印象を受ける。新幹線車両としては初めて制御方式をサイリスタ位相制御としており、試験開始後はこの制御方式を活用した定速運転が行われた。また主電動機出力を増強させたことにより、最高時速260km/hでの運転が可能となっていた。台車は試験により2度振り替えられているが、いずれも車輪径は0系よりも大型化されている。制動は発電ブレーキだが、搭載されているチョッパ制御器による連続制御が可能となり、速度を問わない制動力を確保している。車内は0系の普通車に準じており、2人掛けと3人掛けの転換クロスシートとなっているが、試験車両であることから一部は計測機器類が置かれていた。冷房装置は重心を下げる目的で床下に設置した他、トンネルの割合が高い山陽新幹線に向けた設備として、トンネル通過時も気密を保持するため、ターボファンによる連続換気装置を搭載した。本形式の高速試験により、1972年には当時の最高時速である286q/hを山陽新幹線内で記録している。本形式では高速試験の他、1971年には車両にミニコンピュータを搭載し、コンピュータ制御による自動運転の試験も行われた。この機構をATOMICと称し、力行・停止及び速度制御を全自動で行えるという代物であった。この機構に付随し運転台には現在時刻や次駅までの距離などを表示できるディスプレイが設置されたが、これは現在鉄道で主流となっているモニタ装置のはしりともいえる存在である。高速試験と自動運転試験の双方で試験が行われた951形だが、国鉄における労使関係の悪化や1973年に東北・上越新幹線の開通を見据えて製造された961形が製造されるなどしたことで、本系列を行った試験は次第に行われなくなった。最高速度の塗り替えには成功したものの結局本来の目的であった営業運転での速度向上は実現せず、1985年の100系の登場まで待たれることとなったが、連続換気装置は新たに0系に搭載された他、本形式で採用されたボディーマウント構造や運転台のディスプレイといった新機構は、961形での試験を経つつ東北・上越新幹線用の200系で実用化されている。最終的に1980年に廃車されるが、廃車後は鉄道技術研究所に引き取られ、車両試験台を用いた各種試験に使用された。東京方の951-1は1993年に国分寺市に寄贈され、複合施設「ひかりプラザ」横で新幹線資料館として保存されている。951-2は長らく試験台を用いた試験車両の役割を担ったが、2008年に解体されている。
2014,03,16 ひかりプラザ |