489系
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 1971年登場。元は上野と金沢を信越本線経由で結んでいた急行「白山」の特急格上げに際し同列車に充当する目的で製造された交直流特急型車両である。既に製造されていた485系をベースとして、169系で採用されていた碓氷峠区間でEF63形電気機関車との協調運転機構を備えている点が特徴である。これにより、碓氷峠区間であっても最長12両もの編成を組成できるようになり、輸送力の向上に寄与している。EF63形と連結する側(上野方制御車)は連結器カバーがなく専用のジャンパ連結器が設置されている。また、同区間通過時における座屈防止のため、台車から空気を抜く機構を搭載している。これらの点以外は基本的に485系と共通しているため、碓氷峠区間を除けば485系との混用も可能である。489系は1972年3月のダイヤ改正から特急「白山」として営業運転を開始し、以降「白山」の増発や「あさま」への増投入、上越線経由の「はくたか」との共通運用化等に際して増備が続いたが、おりしも元となる485系のマイナーチェンジが進んだ時期に並行して増備されたこともあり、制御車の総数は28両と少ないながらもボンネット型先頭車、貫通型、非貫通型と3種類もの前面形状を有していた。なお、普通車の内装は当初回転式クロスシートであったが、1974年製の車両では簡易リクライニングシートとなっている(後のアコモデーション改良で回転式クロスシートの車両も簡易リクライニングシートまたはリクライニングシートに換装)。1974年までに普通車、グリーン車、食堂車を合わせて164両が製造され、その後1978年と1979年にグリーン車10両が製造されている。更に181系と485系からの編入があり、総数は180両となっているが、他系列への改造や余剰となった食堂車の廃車等もあり、180両すべてが揃ったことはない。前述のとおり碓氷峠を超える特急として「白山」「あさま」に充当された他、臨時列車として上野〜中軽井沢間の「そよかぜ」にも充当された。その他485系と共に「北越」「しらさぎ」「雷鳥」等の北陸系統の特急にも充当されている。食堂車については1985年までに余剰となった他、編成短縮の余波を受けてグリーン車等113系に格下げされた車両も存在する。国鉄分割民営化に際しては、9連3本と食堂車1両(改造の後24系客車に編入)がJR東日本に継承され、それ以外の残存車はJR西日本に継承された。JR東日本継承車は189系と共に「あさま」「そよかぜ」に専属で充当され、交流電化区間への乗り入れがなくなった。JR東日本継承車は貫通路が閉鎖された他、1990年以降塗装が専用塗装に改められたが、1997年の碓氷峠区間廃止に際して余剰となり、2000年までに全車廃車された。JR西日本への継承車は489系専属(碓氷峠区間を含む運用)運用と485系と併用可能な運用に二分され、前者に充当される489系は1989年からアコモデーション改良及びラウンジ&コンビニエンスカーの新設、専用塗装への変更がなされており印象が変わっている。489系専属運用では特急「白山」及び間合いの上野口ホームライナーの他、1993年からは夜行急行「能登」にも充当されるようになった。1997年の碓氷峠廃止後も、夜行急行「能登」・上野口ホームライナーに使用される編成は489系のみで組成され、特に先頭車はボンネット型先頭車で統一されていた。この編成はATS-Pも搭載したことから1997年3月以降は北越急行を経由する特急「はくたか」の臨時列車や代走にも充当され、更にはTDR臨として武蔵野線や京葉線にも乗り入れる等、幅広い活躍を見せた。それ以外の車両は485系と混用され北陸方面の特急に充当されたが、一部は交流機器を撤去のうえ183系に編入され、北近畿地区に転出している。2000年代までは183系編入車を含め多くが現役であったが、683系等への置き換えや2010年に「能登」「ホームライナー」の定期運用が廃止されたことから急速に廃車が進み、2012年までに本線上から姿を消した。なお、ボンネット型先頭車は2003年に485系のボンネット型先頭車が全廃となって以降も最後まで第一線で使用されており、その点貴重な存在であった。クハ489-1のみ2015年まで車籍が残されたが、同年以降京都鉄道博物館に保存されており、この時点で形式消滅となっている。

 2007,12,22 新浦安


■Variation
 赤色のヘッドマークも誇らしげに特急「はくたか」に充当される489系。2000年代後半までは「はくたか」の臨時運用に充当された他、代走として「はくたか」に使用されたことも多々存在した。尚、ほくほく線内でも最高時速130km/hでの走行となったことから、代走として使用された場合は所要時間が通常よりも多くかかった。後年代走は683系4000番台による充当となった為、489系の充当機会はほぼ皆無となったが臨時列車としては現役最末期の2011年まで充当されていた。

 2004,08,16 直江津★
 JR発足後、「白山」に充当されていた489系は1989年以降「白山色」と称される独自カラーに改められ、併せて「ラウンジ&コンビニエンスカー」と称される、ラウンジと供食設備を備えた売店を設置した車両を組み込んだ。「白山」廃止後の2000年から漸次国鉄色に復元され、2002年までにこの塗装を纏う489系は消滅している。現在京都鉄道博物館で保存されているクハ489-1で、ほぼ片側のみだが2019年10月から翌年1月までの間にこの姿が復元された。なお、最初期に製造された制御車についてはタイフォン位置が排障器にある点が特徴となっている。

 2019,11,22 京都鉄道博物館
 1972年下半期に製造された車両は2次車に分類されており、それまでのボンネット構造に代わり同時期に製造された485系200番台と同様、前面貫通型となり、向きにより200番台/600番台に区分された。また、パンタグラフを有するモハ488形について空調が集中式に変更される等の変更点が生じている。JR東日本に継承された制御車は全てこのグループであった。貫通扉を使用する機会は皆無に等しく、JR東日本車とJR西日本車の一部は貫通扉が閉鎖・溶接されていた。JR西日本車は485系と混用され、一部は車両転配により183系に改番されたが、いずれも2011年までにその姿を消している。

 2009,03,12 小 松
 1974年に製造された車両からは、同時期に製造された485系300番台と同様前面非貫通構造となった他、普通車座席が簡易リクライニングシートとなっている。制御車の番台は向きにより300/700番台と区分されている。クハ489形のコンプレッサーは床下に設置されているため、運転台下部のルーバーが省略されており、クハ481形300番台と見分ける点の一つとなっていた。後年まで一部を除き489系同士で編成を組んでいたボンネット型制御車と異なり、こちらは1990年代中期以降は485系と混用されている。一部は車両転配により183系に改番されたが、いずれも2011年までにその姿を消している。

 2009,03,12 金 沢
2025/10/15