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1966年登場。当時の国鉄では、中央線の混雑緩和を目的に、新設された営団地下鉄東西線と中野駅から相互直通運転を行うこととなった。これによる地下鉄対応の通勤型車両として開発された車両が301系である。全長20m級の両開き4扉車で、当時の主力通勤型車両である103系をベースとしているが、本系列は国鉄の車両として初めてアルミ製車体を採用した点が特徴である。台枠も含めてアルミ製であり、103系と比べて1両あたり約5tもの軽量化を実現した。アルミ製車体は鋼製車体に比べて加工しづらいこともあり、側窓は後はめ式のユニット窓が採用された他、側面方向幕は最後まで設置されなかった。地下線走行対策として側窓の下部は完全には開閉せず、更に車内換気の観点から屋根上のベンチレーターはグローブ型ではなく押込型とされた。前面は貫通構造となった他、前照灯がシールドビーム2灯配置で窓下に配置されており、103系等で前照灯がある位置に方向幕が設置された。車両性能は103系に準じ、主電動機も同型のものを搭載するが、騒音を配慮し抵抗器は自然通風型とされた。台車は乗り入れ先の営団5000系と同様、当時の国鉄通勤型車両では異例の空気バネ台車が奢られている。車内はオールロングシートで、地下鉄を走行することから蛍光灯数が増やされている。301系は1966年に7連5本が製造され、同年10月に国鉄と東西線が相互直通運転を開始したのを機に営業運転を始めた。当初は荻窪〜大手町間での運転だったが、1969年には東西線が西船橋まで延伸されると共に総武緩行線との相互直通運転も開始され、併せて中央緩行線側も三鷹まで直通が拡大し、現在に近い運行形態となった。併せて7連3本が増備され、301系としては56両の陣容となった。しかし同系列は他形式に比べて製造コストが高いことから、以降の輸送力増強に伴う増備は103系1200番台が担うことになり、301系の増備は打ち止めとなっている。落成時はクリアラッカー仕上げで側面上部にのみ黄色5号の帯が巻かれたいで立ちであったが、後に前面と側面窓下にも黄帯が巻かれ、更に地色が灰色5号となったことで103系と同じ色味となった。1989年に三鷹電車区に205系が導入されると誤乗防止のため帯色が青22号となり、東西線直通車として区別された。前述のとおり本系列は7両で1編成を組んでいたが、編成増強に伴い1981年から10両化されることになった。当初は本系列のみで7連と3連を組むように組成され、10連を組まない編成は引き続き7連であった。この際電装解除される車両も現れている。1991年には完全10両化に備えて103系も含めて編成替えがなされ、全ての編成が5連を組むと共に103系と編成を組む車両も生じた。その後運用数の削減で余剰となった6両が1997年から翌年にかけて廃車されたが、残る車両は2000年代初頭に至るまで東西線直通車の主力として活躍した。なお、冷房化は1989年から全車に対して施工されている他、一部を除いて1992年までに車体更新工事を受けている。製造から35年以上経過し老朽化が進み、東西線内におけるATC更新が具体化したことにより、E231系800番台によって置き換えられることとなった。これにより2003年6月中に定期運用を離脱、その後同年8月に行われたさよなら運転を最後に全車廃車となった。廃車後は1両が大宮総合車両センターに長期間保管されていたが、残念ながら2017年に解体されている。
2003,05,04 妙 典★ |