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1958年以降、国鉄は151系「こだま」を皮切りに、1962年の161系「とき」など直流特急型電車を営業運転に投入していった。1964年の東海道新幹線開業を機にこれら直流特急型電車は大規模な車両転配が行われる事となり、151系・161系の両者の仕様を統一する事となった。その計画の元、151系・161系を編入して更に新造の車両を交えたグループが181系である。151・161系からの改造に際しては、主電動機のMT46からMT54への交換とそれに伴う出力増強、耐寒・耐雪構造の強化がなされている。基本的には種車により番台が区分されており、151系からの編入車は0番台、161系からの編入車が40番台、そして当初より181系として新造された車両は100番台に区分されている。尚、151系で特徴的であったパーラーカーや電動ビュフェ車は、一部を除いてそのまま181系へと編入されているが、後年の改造で全て普通車へと変更されており、それは50〜70番台に分けられている。181系は当初、新幹線と連絡した山陽本線の特急列車群と上越線特急「とき」に充当された。その後信越線特急「あさま」や中央線特急「あずさ」など新設された特急列車にも投入され、甲信越地方を中心に特急列車網を拡大した立役者となった。1973年には山陽本線の特急から181系は撤退し、以後は関東甲信越地区を結ぶ特急列車群に使用される事となった。しかし、豪雪が相次ぐ上越線での酷使から故障が頻発しており、耐寒耐雪化を更に強化した183系1000番台や189系が後継車両として使用される事となり、その置き換えによって1975年からは老朽廃車が始まった。ただし1978年からは183系に編成をそろえると共に、485系への改造が容易に行えるグリーン車を新たに製造する等異例の事態も生じている。結局1982年の上越新幹線開業と共に残存した車両は営業運転を離脱し、485系へと編入されたグリーン車以外は順次廃車されていった。この他引退後の1983年にはグリーン車3両が113系へ格下げ編入され普通列車用に転用、1984年には保留車2両が485系への編入の上九州に転属し、各種特急列車に使用されていずれもJRにも継承されたが、これも1993年までに全車廃車となって151系の系譜を引く車両は完全に消滅した。現在はクハ181-1が川崎重工に、クハ181-45が鉄道博物館にそれぞれ静態保存されている。
2009,02,09 鉄道博物館 |