117系
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 1979年登場。従来京阪神地区の新快速に用いられてきた153系の老朽化に伴う置き換えを目的に製造された車両である。車体は普通鋼製で全長20m級である点、袖が絞られた車体を有している点は従前の近郊型車両と同様だが、本形式では両開き2扉配置となっている。車体塗装はかつて京阪神間で主力車両であったモハ52系(所謂「流電」)を意識した配色となり、クリーム1号を基調としてぶどう色2号の帯をまいた落ち着いた色合いとなった。系列による専用塗装は従来の国鉄には見られない特徴で、以降の地域色の先駆けともいえるものである。前面は非貫通構造かつ高運転台構造となり、前面窓下中央に種別表示器、その両側にタイフォンを設置し、前照灯は左右各2灯がライトケースに収められており、流線形の形状と相まってさながら特急型車両のようなデザインとなっている。このデザインは改良を経て後に185系にも受け継がれることとなる駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式、制御方式は従来からの抵抗制御方式、主電動機も標準のMT54系を搭載するなど走行機器類は他の近郊型車両と類似しているが、本系列では最高時速が110km/hに引き上げられた他、台車は空気バネ台車が奢られ、乗り心地の向上に寄与している。。車内はデッキこそないが、特に京阪間で競合する京阪、阪急で転換クロスシートの特急を多数走らせていたことから、それらに対抗し、転換クロスシートを基調としたオールクロスシートとなっている。近郊型車両ながらつり革は設けられず、蛍光灯にはカバーがつけられ壁面は木目調となり、側扉は当時の国鉄車両としては類を見ない、化粧板仕上げとなった。また、同時期に製造された特急型車両と同じく新線外気取入装置が搭載されている。同様の内装を先んじて採用していたキハ66系を上回るほど、つまり国鉄の近郊型車両はおろか、急行型車両をも大きく凌駕するアコモデーションを誇り、特急型車両に肉薄する程であった(実際後年登場する特急型車両185系との違いはデッキ、洗面所、グリーン車の有無程度であり、内装面はほぼ本系列の特徴を受け継いでいた)。117系は当初1979年から翌年にかけて4M2Tの6連が21本増備されて宮原運転所に配置され、1980年7月までに153系を一掃し、新快速はほぼ本系列の独擅場となった。その後1982年からは東海地区における153系の置き換えを目的に大垣電車区にも6連9本が投入されたが、こちらは制御車へのトイレ増設等一部仕様が変更されている。その後、1986年には新快速の増発及び東海地区の快速列車増発用に再度増備がされることとなり、この際に増備された車両は側窓形状の変更やボルスタレス台車の採用、車内座席の形状変更等のマイナーチェンジが施され、100番台、200番台に区分された。6連3本が増備された他、東海地区では6両を組んでいた編成を4両に短縮する目的で、制御車のみ18両が投入された。これにより本系列は216両の陣容となり、以降の増備はなくそのまま国鉄民営化を迎えた。宮原配置車はJR西日本、大垣配置車はJR東海にそれぞれ引き継がれ、民営化当初は新快速など第一線で使用されていたが、1989年に221系や311系が投入されると次第に第一線から退くと共に、JR西日本では福知山線や山陽本線など、他線区への転属が行われるようになった。併せて編成の組み替えも行われ、4連や8連を組む編成も現れた。福知山線への転属にあたっては扉付近をロングシートに変更し、定員増から応加重装置を搭載する改造を施された車両もあり、施工車は300番台と区分されている。1992年に岡山地区に転属となった際は余剰となった中間電動車ユニット28両が115系に編入されており、以降117系は188両の陣容でしばらく推移した。1999年のダイヤ改正では京阪神の新快速から完全に撤退する等、第一線からは退きつつあったものの、JR東海ではラッシュ時を中心に、JR西日本では前述のとおり転出により活躍範囲を広げながら主力車両に伍して活躍したが、JR東海では2010年から廃車が始まり、2014年までに全編成が廃車された。JR西日本でも2015年より廃車が発生し、その数を少しずつ減らしつつある。そのような状況ではあるが、2020年には本系列の6両に大規模な改造を施した特急型車両「WEST EXPRESS銀河」が竣工し、大きな話題となった。

 2008,08,08 厚 狭


■Variation
 所謂「福知山色」を纏っていた117系。1990年のダイヤ改正で221系の増投入により新快速運用を追われた117系の一部が福知山線の運用に充当されるようになり、専用塗装に変更されたものだが、クリーム10号に緑14号の帯色という、より185系に近い姿となっている。1992年からは混雑緩和を目的に、内装をセミクロスシートに改造し応加重装置を搭載した車両が現れ、300番台に区分された。福知山線の117系は快速運用を主体に使用されたが、デッキなし両開き、かつセミクロスシートに改造されたといえど2扉配置は乗降に支障をきたし、2000年からは221系による「丹波路快速」が運行を開始ししたことから撤退が開始、2005年までに福知山線からは撤退し、京都総合車両所に転属した。転属後もしばらくはこの塗装が残ったが、2009年までに消滅し現在では見られない塗装となっている。

 2008,08,05 岸 辺
 京都総合車両所に在籍する117系。前述のとおり福知山線を追われた117系が転属したものである。当初は登場当初のオリジナル塗装、もしくは福知山線の独自塗装を纏っていたが、2010年以降は順次抹茶色単色に変更されている。京都総合車両所の117系は基本的に湖西線と草津線で運用されており、113系5700番台と混用されているが、扉数の違いから運用は基本的に分けられている。なお、転属当初は山陰本線京都口でも用いられたが、後に撤退している。

 2017,09,23 唐 崎
 日根野電車区に転属した117系。福知山線で使用されていた車両の転入を皮切りに順次転入が進み、2002年までに4連5本の陣容となった。日根野区ではワンマン運転への対応がなされ、紀勢本線と和歌山線で充当された。同地の105系や113系と同じ専用塗装が採用され、当初はオーシャングリーンを基調にラベンダー色の帯が配された姿となっていた。2012年からは青緑色一色に塗装変更され、2015年度には下関から転属した車両の間で一部編成替えが行われる等の変遷を経たが、227系1000番台の投入により2019年3月のダイヤ改正で定期運用を離脱した。この離脱で大半の車両は廃車されたが、ごく一部は「WEST EXPRESS銀河」への改造に伴う既存編成補充の一環で京都に転属している。

 2005,08,07 御 坊★
 岡山地区に転属した117系。6連を組んでいた編成は4連に短縮され、白を基調として腰部にグラデーション帯を巻いた「サンライナー色」といわれる独自塗装に変更された。この時余剰となった中間電動車ユニットは115系に編入され、同形式の3500番台に改番されている。4連6本が配置されて快速「サンライナー」を中心に使用され、1999年からはワンマン化改造も施された。2010年以降濃黄色への塗り替えが進み、また下関から転入された117系への置き換えにより一部が廃車されたことで、2016年までにこの姿は見られなくなっている。

 2015,05,03 岡 山
 濃黄色一色塗装に変更された岡山地区の117系。2010年から2016年にかけて塗装変更が進められた(変更されずに廃車された編成も存在する)。運転台回りを含めて黄色く塗装されている点が後述する下関地区の117系との違いとなっている。

 2018,06,15 倉 敷
 下関地区の117系は、2005年3月のダイヤ改正でJR九州415系の下関以東乗り入れが廃止されたことに伴い、車両不足を補う目的で宮原から転入したもので、4連5本が在籍した。他の広島支社の車両と同じように2010年から濃黄色への塗り替えが進んだが、前面窓の間が黒色のままであり、岡山地区の117系と異なる特徴となっていた。広島地区に227系が導入されると共に車両転配で転属することとなり、2015年から翌年にかけて岡山及び日根野に転属したことで、下関地区から117系は撤退している。

 2014,12,29 厚 狭
 JR東海に継承された117系。東海地区に投入された117系も当初は4M2Tの6連を組んでいたが、1986年に制御車が増投入されたことで編成替えが行われ、全編成とも4連を組むようになった。この時投入された車両は側窓の形状が異なるため、JR西日本に比して側窓の形状が不揃いな編成が多くなっている。JR東海では1989年よりオフホワイトを地色に窓下にオレンジ色を入れた塗装へと変更された。当初窓下は帯が2本入っていたが、後に塗装簡略化で帯は1本のみとなった。当初は快速運用を主体に主力車両として活躍したが、1989年の311系投入、1999年の313系投入と後継車両の投入が続いたことから次第にラッシュ時中心の運用に移行していった。2010年からは313系の増投入により廃車が始まり、2014年までに全て置き換えられて廃車された。なお、JR東海では2010年より本系列を改造した「トレイン117」という簡易観光列車を有していたが、これも2013年に廃車されている。

 2008,08,05 大 垣
2021/02/06