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1938年に金沢電気軌道が発注した凸型電機。北陸鉄道への合併を経て、1949年に現行の形式へと改番されている。当時南海電鉄に在籍していた電気機関車がベースとなっており、それにより機器類や台車は当初南海電鉄の発生品が流用されていた。更に制御器も直接制御であったが、これらは1962年に自社線の廃車発生品に取り換えられており、同時に制御器も電空単位スイッチ制御のものへと変わり出力と粘着力の向上がなされている。この改造に伴い新たな機器類を搭載する必要がある事から機器スペース確保の為に車長が延びており、また自重も重くなっている。1976年まで貨物運用に従事したが、当時の貨物輸送はED30形が主力であり、当車は入れ替えを中心に使用されたようである。貨物廃止後は除雪用事業用車として残り、大型のスノープラウも取り付けられた。現在は殆ど除雪作業にしか使用されないもののED30形廃車以降も北陸鉄道に残されており、唯一の電気機関車としてその姿をとどめる。また、木南車輛で製造された機関車の最後の生き残りでもあり、貴重な存在となっている。
2009,03,12 日御子〜鶴 来 |