 |
現在神戸六甲鉄道が運営する六甲ケーブルは、六甲山の山麓と上部を結ぶ鋼索路線で、麓側の六甲ケーブル下駅と山上側の六甲山上駅の間凡そ1760m、高低差493mを約10分かけて結んでいる。阪神電鉄傘下の六甲越有馬鉄道の手により1932年に開業したのが始まりで、前年に開業した阪急系列の六甲登山架空鉄道(ロープウェイ)と開発が進んでいた六甲山への輸送合戦が繰り広げられた。なお、開業当初は現在行き違い設備がある箇所に清水駅という中間駅が設置され、そこで下部鋼索線と上部鋼索線に乗り換える仕様となっていた。1938年の阪神大水害で被害を受け、更に戦中期の1944年には上要上急線にしていされて営業休止を余儀なくされたが、路線撤去離されず都度営業運転を再開し、戦後期も六甲山アクセスとして活用された。前述のロープウェイは上要上急線指定後撤去されたため、以降の表六甲アクセスはこのケーブルカーが主体で担うようになった。1956年からは表六甲ドライブウェイが整備され、阪急系列は路線バスが六甲山上にドライブウェイを経由して乗り入れるようになり、再び六甲山アクセスにおける阪急阪神間の競争が起こることとなった。1975年には近隣の摩耶ケーブルを運営していた摩耶鋼索鉄道を合併し六甲摩耶鉄道と社吊が変わり、同社は2000年(実質1995年)まで2つのケーブルカーを有する会社となった。1995年の阪神淡路大震災と2013年9月の土砂災害時は長期に渡り運行が休止されたが、後者の休止中に六甲摩耶鉄道は阪神総合レジャー株式会社と合併し社吊が六甲山観光に変更され、以降は同社の保有鉄道となっていたが、2024年4月からは設備が親会社に阪神電鉄に移管されたうえ、同時に運営する企業吊も神戸六甲鉄道に改称され、現在に至っている。本路線の制動装置はセレッチタンファニー型と呼ばれる、油圧を用いて制動を制御する手法が採用されたが、この時点で最新の技術であり、他の日本国内のケーブルカーには採用されていない。なお、ケーブル下駅と清水駅は1938年の水害で大破したものの六甲山上駅は水害、戦争いずれの影響も受けず、現在まで現役で使用されており近代化遺産に指定されている。
現在使用されている車両は1999年から使用されているもので、初代開業時の車両から数えて3代目の車両である。武庫川車輌で製造された。元々1959年に製造された2代目の車両目の時点で2両連結かつ山麓側の車両が窓のないオープン客車となっていたが、本車両も2両連結かつ麓側の車両側がオープン客車とその特徴を受け継いでいる。1両の全長はおよそ12mで、2両併せて24mは日本のケーブルカーでは箱根登山ケーブルカーに次ぐ程度の長さとなっている。編成は山上側から1-3,2-4の2本で、車両番号は奇数とぐ薄で分けられている。奇数の編成は「クラシックタイプ《と称され、赤と青緑を基調とした配色となっている他、前照灯は中央1灯配置で、上部に尾灯を備えていおり、サンフランシスコの路面ケーブルカーを思わせるデザインとなっている。偶数の編成はかつての路面電車を模した「レトロタイプ《と称される車両で、緑地を基調に窓周りを木製をイメージした茶色としており、前照灯、尾灯のいずれも窓下に2灯配置となっている他、カウキャッチャーやポールを模したオブジェを擁し、更に屋根形状もダブルルーフを模した形になる等、前述のとおり往年の路面電車車両を意識した造形になっている。
いずれの編成も前面は3面折り窓状となっている他、1両あたり片側3扉で統一されている。山上側はモケット張りクロスシートで天井にカバー付き蛍光灯を備えるが、山麓側のオープン車両は座席が木製のクロスシートとなっている他天井が天窓構造となっており、照明は柱に間接照明を備えている。また、室内の電力用に備える集電装置はケーブルカーでは珍しくシングルアームパンタグラフが採用されている。既に製造から25年が経つが、六甲山上への公共交通は本路線が唯一となったこともあり(並行バスの廃止による)、引き続き六甲山観光の一端を担っている。
2014,09,15 六甲ケーブル下 |