200形
トップページ鉄道写真図鑑姫路市交通局>200形
 姫路市交通局が運営していた姫路モノレールは、姫路城の修復を記念して行われた博覧会に合わせ、1966年5月に営業運転を開始した。それに先立って製造された車両が100形と200形である。川崎航空機で製造されたその車体はアルミ製で、航空機の製造技術を応用したセミモノコック構造の車体となった。前面は流線型ながら貫通扉が備えられており、独特の外観となっている。姫路モノレールではゴムタイヤではなく鉄車輪を用いることで、跨座式モノレールとしては高速性に優れるロッキード式が採用されているが、同じくロッキード式のモノレールを採用した小田急の向ヶ丘遊園モノレールよりも大型の車体となった。制御方式は抵抗制御、駆動方式は直角カルダン駆動方式で、各台車に主電動機を搭載し、それを個別に駆動することで高加速運転を実現している。車内はオールクロスシートとなっており、送風装置にファンデリアが採用され、蛍光灯にカバーが取り付けられるなど当時の一般的な鉄道車両としては水準の高い内装となっている。100形は片運転台で2両で1編成を組むのに対し200形は両運転台構造となっているという違いがあり、それぞれ2両の陣容となっていた。博覧会輸送時には100形に200形を1両連結した3連、博覧会終了後は100形もしくは200形を2両連結した編成が運用にあたった(200形は単独走行ができるが、万一の故障に備えて2連以上を組成した)。姫路市では手柄山への輸送手段としてだけでなく、将来的には姫路市内の主流の移動手段として、更にはロッキード式モノレールの高速特性を活かし、太平洋側と日本海側を結ぶ所謂「陰陽連絡鉄道」にもモノレールを導入する計画を立てていたが、博覧会終了後は現行路線の輸送人員が大幅に減少してしまい計画は頓挫。加えて車両製造に携わった日本ロッキード社が解散してしまったため維持コストがかさむこともあり、開業からわずか8年後の1974年には路線自体が休止となってしまった。その後1979年には廃止されているが、100形・200形は30年以上に渡り手柄山駅の内部に非公開のまま留置され続けた。その後姫路市は手柄山駅の跡地を姫路市水族館と一体化した展示施設「手柄山交流ステーション」へとリニューアルすることとなり、それにあわせ100形は解体されてしまったが、200形は2009年11月の車両移転及び整備を経て2011年の同館オープン時に、長い時を経て再び日の目を見ることとなった。以来200形は2両とも同館に展示されており、202号車に関しては車内に立ち入ることもできる。

 2013,03,11 手柄山交流ステーション