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1942年登場。戦時中の軍需輸送の高まりを受け、輸送力増強を目的に木南車輌にて製造された自社発注車両であり、現在の広島電鉄で営業運転に就く車両としては唯一原子爆弾による被爆の経歴を有することから「被爆電車」として有名な存在である。全長12.3m級の当時としては大型のボギー車で、半鋼製車両ながら当時の路面電車車両には珍しい、ノーシル・ノーヘッダーのすっきりとした外観となっているのが特徴である。ラッシュ時の乗降をスムーズとするために片側3扉構造となっており、中間には両開き扉を備えている。5両が製造された650形は当時の広島電鉄の主力車両として使用を開始したが、前述の通り1945年に原子爆弾の投下による被害を受け、全車両が破損している。その後全車とも修繕工事がなされて運用に復帰しているが、被害程度の大きかった655号車のみ他車とは異なるスタイルで復旧している。その後655号車は1967年に事故廃車されるが、残る4両は1975年にはワンマン化改造、1986年には冷房化改造を受けるなど、同時期に製造された他形式よりも遥かに長い間、歴史の生き証人として使用され続けた。尚、ワンマン化改造に伴い後部の扉は閉鎖され、その部分にも座席が延長されている(埋め込みはされていない)。ただし当時のニス塗りの内装はそのまま残されており、現存する車両の中では唯一のニス塗り車両となっている。2006年のダイヤ改正までは4両とも健在であったが、同ダイヤ改正で2両が運用を離脱し、653号車は予備車に、654号車は廃車されて広島市交通科学館に静態保存された。残る2両も他の車両に比べて収容力が小さいことから基本的には平日ラッシュ時の運用に留まっている。ただし前述の通り「被爆電車」としての歴史的価値は高く、貸し切り運用などでも使用されることがある。
2013,03,12 日赤病院前〜広電本社前 |