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160形は1933年10月の福武線福井新〜福井駅前間開業に合わせ、同区間(この区間は開業時から現在まで併用軌道である)を単行運転する車両として当時の福武電気鉄道が製造した半鋼製ボギー車デハ20形を出自とする連接車両である。デハ20形はこの製造目的から全長10m級の両運転台ボギー車として製造され、制御方式も直接制御方式となり、前面には排障器として救助網が取り付けられるなど、路面電車車両に近いいでたちと車両性能であった。デハ20形は翌1934年までに4両の陣容となった。車内はいずれもロングシートであり、廃車時まで一貫している。1945年に福武電気鉄道が福井県の他の私鉄と合併して福井鉄道となった直後までデハ20形として運用されたが、会社合併に伴う車両形式整理の一環で1947年にモハ60形に改番された。この直後の1948年に発生した福井地震ではモハ61が被災し車体全焼するという憂き目に遭うが、車体を新造することにより復旧し、以降同車は「震災電車」として福井復興のシンボルとなった。この復興事業に併せてなされた福武線の市役所前〜田原町延伸に際しては同駅にも乗り入れるようになっている。なお、一部の車両は一時期南越線(社武生〜戸ノ口間を結んでいた路線、1981年全線廃止)でも用いられた。市内線専用車両としての運用は30年以上に渡って継続したが、福武線全体の輸送力向上を目的に、この役目を純然たる路面電車車両により置き換えることとなり、1967年には同車は福井新以南の福武線でも用いられるようになったが、前述のとおり全長10m級で他車に比べて輸送力が劣ることから1968年にモハ61、62の2両に対し2両連接車化改造が施されることとなり、改造された連接車は160形(モハ62→モハ161-1、モハ61→モハ161-2)に改番された。改造に際しては前述のとおり台車を1台分撤去のうえで連接構造へと改造した他、正面デザインも切妻型の非常にシンプルなものとなった。ただし、車体形状の統一化はなされず、側窓やベンチレーターの形状は各車不揃いであった。この改造の際に制御方式が間接非自動制御となり、主電動機が換装されて他の鉄道線車両に遜色ない性能となった他、側扉の自動化や車内放送装置の新設等の接客設備改善もなされている。なお、この改造は2両にとどまり、改造されなかったモハ63、モハ64の2両は主に鯖浦線(鯖江〜水落〜織田間を結んでいた旧鯖浦電気鉄道の路線で、1973年に全線廃止)で使用された後1971年までに廃車されている。160形は当初福武線と鯖浦線を直通する列車を主体に運用されたが、同線廃止後は福武線内で使用された。連接車への改造後も1981年に主電動機、台車の換装、1985年にワンマン化改造及び尾灯の角型化や前面方向幕の新設、1992年にはATSの設置などが行われた。このように種々の変遷を経つつ平成の世まで生き永らえた同形式だが、2両連接車体とは言え輸送力は他の車両に比べて小さく、末期は訓練車としての位置づけが強い車両となっており、運用自体はラッシュ時に田原町〜神明間の区間運用が主体となっていた。最終的には600形・610形に置き換えられて1997年にさよなら運転を行い廃車された。廃車後はしばらく西武生に留置された後、モハ161-2が福井市内の下馬中央公園に、161-1が旧南越線村越駅近くに静態保存されている。車体を分割しての保存展示は連接車には不適であるため、連接部分に台車をとりつけ、製造当初と同様のボギー車然とした姿で保存されている。
2016,07,10 下馬中央公園 |